今日は、ぱにーニィのお母さんの、みなのかです。
2月2日。

今日は、ぱにーニィのお母さんの三七日でした。


さとこも、ついて来させてもらい、
ぱにーニィ兄弟と3人で、三七日法要に参列させていただきました。


お母さん、息子さん達に伝えたいことは、たくさんあったでしょうが、

その身体は、1月13日、苦痛から解放されました。


病院の先生の落胆ぶりも、かなりのものでした。
寝ても覚めても、好転の方法を悩んでおられたのでしょうね。


 「もう、こちらの病院で検査はないので、一番設備が整った病院へ転院をと考えましたが、
血液の病気ではないだろうとの回答でした。
抗生剤の効き目は出つつあるのに、輸血で改善しない理由がわからない。
もしかすると…」


お母さんは、リウマチの薬を毎週金曜日に服用していた。

抗がん剤の『リウマトレックス』というお薬です。


効能は、
免疫系の亢進状態を強力におさえ炎症をしずめる。
そして、関節の破壊をくい止め病気の進行を遅らせることができるのです。


リウマトレックスは、他の正常な細胞にも悪影響します。
『骨髄抑制』という副作用。

ひどくなると、骨髄幹細胞が破壊され、血液細胞が再生不能になる。

75歳以上の方に起こりやすいそうです。


お母さんが、リウマトレックスを最後に飲まれたのは、大みそか、12月31日のはず。

お薬だけはきちんと飲んでも、腰痛で動きたくなくてきちんと食事を摂っていないから、
徐々に体が弱って、年末の時点で、気づかず肺炎になっていたのかもしれない。


感染で脱水症状がおこり、腎機能が低下したところに、きつい抗がん剤を飲んだので、
一気に悪化したことが考えられる。


納得がいきます。


注意書きには、

「間質性肺炎,肺線維症などの肺障害が発現し、致命的な経過をたどることがあるので、服用中、特に発熱,せき・呼吸困難などの呼吸器症状,口内炎,倦怠感などの症状が現れたら、ただちに処方医へ連絡してください。」

とありました。


そんな症状が全く出なかったので、家族も先生も、本人すらも気づかなかったのでしょう。


………


その日も、病室を訪れ、手を振ると微かに笑顔を返してくださいました。


ぱにーニィと二人で、タオルごと身体を浮かせて、圧を左右交互に移すと、
お母さんの顔が解れ、ほーとため息が出る。


そして12時過ぎ。

輸血が開始になってから10分も経過しないうち、ガクンと呼吸が深くなりました。


ぱにーニィの声を、

「親不孝してごめんな
ありがとう
ありがとうな」

を繰り返し聞きながら、

お母さんは旅立っていかれました。


死亡時刻は12時44分。

お化粧をしてもらい、とてもきれいな姿でした。


さとこはその日、はじめて、ぱにーニィの実家から巣まで、独りで運転して帰りました。


ぱにーニィ、着の身着のままだから、必要そうなものを準備しないとね。


何が要りますか?

ぱにーニィ 「こっち(実家)にも殆どあるから、ヒートテックとぱんつぐらいお願いできれば」

了解了解。


…まてよ?
お父さんの告別式んとき、ベルト忘れたとか言って、ズボン、ズルズルだったよなあ。

「ベルトはありますか」
「あ!」

「黒の靴下は」
「あ!」

「まさか黒い靴も無かったりして」
「あ!」


…。
裸族はこれだから。

やっぱ、普段から人間らしいものを身に着けないと。


翌日。
ぼたん雪の降りしきる、清浄な白い世界。


お母さんも、昨日とかわらず、眠ったようなお顔でしたが、雪をひとひら載せても溶けないくらい、冷たくなっておられました。


ぱにーニィ 「数珠がないに。仏壇の下の箱に入っとるはずなのに。」

さとこ 「そんなときは、喪服のポッケを探してみてはいかがでしょう」


ビンゴだったようでございます。


納棺が17時。
お通夜が18時。


お兄さんが尾張の親族さんを迎えに行かれ、
お留守番が、ぱにーニィとさとこだけになる時間がありました。

三線持ってきて良かった。

サカサカと用意を始め、お母さんの枕元でぱにーニィの唄三線を聞いていただく。


お母さんは、ぱにーニィのファン第一号だろうからね。

ほら、口元に微笑みが。


お兄さんたちが到着されたから、ミニライブ終了。


ぱにーニィ 「おばちゃん、ごめんな、会わせてあげられんで」
叔母さん 「ぱにちゃん、こっちこそ、無理言ってごめんよ」


叔母さんもお母さんとそっくり。
美人姉妹だったんですね。


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[2016/02/04 04:54] | ・未分類 | page top
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