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沖縄観光しましょーねー。⑤たまうどん まんきつの巻。
ぱにーニィ訪沖3度目にして、やっと玉陵に案内できました。


国指定記念物史跡の玉陵(たまうどぅん)は、『琉球王国のグスク及び関連遺産群』として世界遺産に登録されてます。

パンフレット概要には、
  

 1501年、尚真王が父尚円王の遺骨を改葬するために築かれ、その後、第二尚氏王統の陵墓となりました。

墓室は三つに分かれ、中室は洗骨前の遺骸を安置する部屋となっています。

創建当初の東室は洗骨後の王と王妃、西室には、墓前の庭の玉陵碑に記されている限られた家族が葬られました。

全体のつくりは、当時の板葺き屋根の宮殿を表した石造建造物になっています。

墓域は2.442㎡。 
沖縄戦で大きな被害を受けましたが、1974年から3年余りの歳月をかけ、修復工事が行われ、往時の姿を取り戻して今日に至っています。
 
昭和47年5月15日に玉陵墓室石牆(たまうどぅん ぼしつ せきしょう)が国指定有形文化財建造物に、玉陵は国指定記念物史跡に指定されました。
また、2000年12月に「琉球王国のグスク及び関連遺産群」として世界遺産に登録されました。


てなことが書いてあります。


まず、奉円館(ほうえんかん)の資料展示室に入る。
ここが興味深いんだよね!

ちょうど、歴史の語り部さんみたいな方が、観光客グループと一緒に入ってこられたので、なにげにそばに立って盗み聞き(笑)
やー。面白い面白い。


ぱにーニィは、ガイドさんにも気づかず、説明を読むのに夢中。
「ここも、入ったら帰れないよ!」

でしょでしょ。

でも、せっかくだから、現物を拝観しないと。


死者の王宮、玉陵に足を踏み入れる。

戦災でほとんど破壊され、修復されたとはいえ、墓室はそのまんま。
息をしたら、御霊が眠りから目覚めそうで、声を潜めます。

ま、拡声器から説明のアナウンスが流れてるんだけどね。


テンペスト、上手に再現してあったなー。

孫寧温のお兄ちゃんが仕えていた、荒涼としたたたずまい、そのまんまじゃーん。


この中にあんなにたくさんのお部屋があるなんて、上から見たら、どんな造りなんだろ。


ぱにーニィ 「尚円王だけが真ん中の石室に安置してあるんだね」


違うよ違うよ!
中室は洗骨前の遺体を安置する場所なんだけど、一つ置いてあるあの逗子は、間違って処刑されちゃった木田さんだよ。

ぱにーニィ 「ジュンニ?だって、尚円王の逗子と同じ写真だよ!
それに、玉陵碑に、玉陵に葬られるべき人が記されてて、『この書きつけに背く者があったら、天に仰ぎ、地に伏して祟るべし』ってあるじゃん!」

奉円館の展示室に説明のパネルがあったの、読んでないの?


てなわけで、再度、奉円館に走る(笑)


パネルには民話 「木田大時(むくたウフトゥチ)」が書いてあります。



むかし、玉城間切の前川村(現、玉城村字前川)に生まれた、木田(むくた)という男がおりました。
木田は、大人になると「よく当たる易者」と評判になっていました。

ある年のこと、重い病気の王子様にとりついていた、悪い霊を見事に払い除け、またたく間になおしてしまいました。
そこで、喜んだ王様から、たくさんのごほうびとともに「大時(うふとぅち)」という称号をもらいました。「時」とは、占いなどをする男の人を呼ぶ沖縄の方言ですが、「大時」とは、国中の時の中で、一番偉いということなのです。


ところが、そんな木田をねたましく思う人たちがいました。
「木田は、大ウソツキ!王子様は、たまたまよくなられただけで、木田は何の役にもたってなかったんだ。」
などと、うわさする者が現れました。

こんなうわさが広がるようになり、とうとう王様も、みんなの前で木田を試さなくてはならなくなりました。

王様や家来のものたちの前で、一匹のネズミが箱に入れられました。
そこへ、木田が呼ばれてやってきました。

「木田大時よ、お前のわざがウソだといううわさがある。そのうわさを見事、私の前で晴らしてもらいたい。ここに箱が一つある。そこにネズミを入れてあるが、はたして何匹入っておるか、フタを開けずに当ててみよ。」

王様の命令で、木田は、その箱を見ました。
そして・・・
「王様。この箱にはネズミが三匹入っております。」
「間違いないか。」
「はい。間違いございません。」

「ファイナル、アンサー?」
「ファイナル、アンサー!」

そう答えたとたん、
「裏切り者!」
「死罪だー!!」
と、家来たちが木田を捕りおさえ、安謝の刑場へと引き立てていきました。


「それにしても、なぜあれだけ見事な男が、こんな簡単なことを見抜けぬとは・・・」
王様は、とてもがっかりされました。
そして、今一度あの箱をみんなの前であけさせました。

「ややっ。な、なんと。」

箱に入れられた一匹のネズミが、赤ちゃんを産んで、三匹になっているではありませんか。

「したいっ!さすがは、木田大時。これを当てよった。あやつは、本物じゃ。えーい。早よう、早よう安謝へ知らせよ。処刑は中止じゃ!」

これには、みんなもびっくり。
ただちに、お城で一番高い物見台の「高アザナ」から旗を振って、処刑の中止を安謝の刑場に知らせようとしました。


ところが、刑場の役人たちは、
「ややっ。お城から旗が振られている。木田の処刑を急げといって知らせているぞ。」
と、大変な勘違いをしてしまい、あわれ木田は刑場の露と消え去りました。

「なっ、なにー・・・」
そのことを知った王様は、膝をがっくりと折り、その場に泣き崩れてしまわれました。


「あぁ、私は何ということをしてしまったのか。木田よ、許せ。お前を子々孫々まで大切にまつろうぞ。」
と、王様は、歴代の国王の眠る玉陵(たまうどぅん)に木田大時をまつることにしたと伝えられています。


実は、尚円王を葬った、立派な石厨子(いしずし)と同じ、すばらしい彫刻のほどこされた石厨子が、たった一つだけ、洗骨をするまでの遺体を葬る場所であるはずの中室に、なぜか昔から残されています。
いい伝えでは、これが木田大時のものといわれていますが、真偽のほどはわかりません。

今でも、木田大時の子孫といわれる、本家の玉城村字前川の内間家をはじめ、内間家の子孫の那覇市字小禄の上原家(屋号:イリガーシム)やその分家である那覇市牧志の嘉数家(屋号:ウムイ)などに、このお話は伝承され、四月に行われる清明祭の時期に、大勢の方々がお参りにいらっしゃいます。

おしまい



ってことですにゃ。


奉円館の券売所には、こんなガイドブックとかが販売されていて、さとこ、全種類買っちゃいました。
ぱにーニィも、「ワンも欲しい!」
更に、ジュンク堂書店に行って、『鳥が見た沖縄の世界遺産』をゲット。

pani-nii.jpg

さとこもつられて、いつの間にかこんなこと。

satoko.jpg

やー。
ぱにーニィとさとこ、また暴走しちゃいました。
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[2015/05/07 20:04] | ・沖縄紀行(古い順) | page top
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