ヤス伯父さん、ありがとうございました。
はてるま父の従兄、『ヤス伯父さん』95歳が亡くなった。


とおるちゃんが死んだとき、
ヤス伯父さんは

七日法要の席でも
四十九日の席でも

おうちにお邪魔した時も

さとこに向かって


「とおるはもう居らんし
あんたらには子供も居らん

こっから先、すべてあんたの人生だ

はてるまの家に縛られることはない

あんたの気持ちは
誰が反対しても
わしが守るから

さとこさんの好きなようにしなさいよ」


田舎の古い考え方の中には珍しく
伯父さんが繰り返しそんなことを言ってくださるもんで、


さとこの里の母側は大賛成し

多数派のはてるま側の人々は

「もー、おじさんったら酔いに任せて余計なことを言う」と
若干困った表情だったと記憶している。


当のさとこは

とおるちゃんの側にすぐに連れてってもらわなくちゃと焦っていて
それどころではなく


四十九日に
とおるちゃんが一人じゃぶじゃぶと三途の川を渡ってしまってからは

後追い3年計画の準備に忙しく


「はい、わたしはとおるさんのお墓に入りたいんです♡」と
ヤンワリかわすだけだったけど


とても感謝している。


何となく
いざとなればヤス伯父さんがいてくれる、みたいな
心の拠り所になっていたからね。


ヤス伯父さんのおうちは、はてるま父の薬を受け取る薬局のすぐ近くにあるから

お元気かなあといつも思いながら

はてるま父母と行くには話題がマズいし
ほかに訪ねる理由もなく。


日本酒が大好きで

宴会となれば
みんなが帰ったあとも一番最後まで呑んでいて
奥さんを困らせていた。


大戦中は
通信部に配属され

特攻機の出動を見守っていたことや
シベリアに抑留されていた時のことや


「わしは、死んでいったあいつらの分、100歳まで生きる」が口癖だった
伯父さんのお話が聞けないのは
かなり残念。


亡くなる日と、その前日の危篤の日、
はてるまの廊下のセンサーライトがずっと点いたり消えたり騒がしかったそうで


とおるちゃんが知らせたのか
伯父さん来てたのか


とおるちゃん、ヤス伯父さんと久々にお話できるよ。





訃報を受けてから

はてるま母はすぐに式典の準備や打ち合わせのお手伝いに行っていたけれど


さとこ、とおるちゃん以来、葬送の場は苦手で
取り乱したり
過呼吸になったり


でも、さすがに今回は避けられない。


かなり不安だったけど

出棺前のお別れのとき
伯母さんが

「おじいさん、いっつも財布はどこだーって騒いでたから、
はい、これ持って行きなさい」とか
「いつもより男前に仕上がっちょりますけん、
顔見てやってくださいよ」とか

真顔で言うもんだから

気持ちが和んだ。


伯父さんのおうちは、黄檗宗。


さとこは黄檗宗と全く接点がなかったのですが

初めて聴きましたが
まるで歌のようなお経です。


住職さんから、戒名の説明を聞く。


『永』は、長寿を全うされた方にしか授けられない尊い字でございます

翁や媼は、よいお年寄りさんにしか与えられない字でございます

『信』は、いつも自分の信じた道を進んでこられた方だから
これからも、信念を持って歩まれますように


ああ。とっても覚えやすい。


戒名は、仏教の戒律を授けた時に与える名前で仏の弟子になった事を示し、
もともとは生前に授かるものらしい。


さとこは
早く戒名を作ってもらって、
位牌と戒名板のとおるちゃんの隣に並びたいんだけど、

方丈さんから「まだ先でいいんじゃないか」と言われて延ばし延ばしに。


たしかに、仏教に帰依した人の証としてってことになると

お酒をよく飲み、おネギやニラをぱくぱ頂いて心乱れている不逞の輩さとこなんかには
ちょっと無理かなあ。


とおるちゃんも、戒名で呼んであげたことないけど、

ほんとは戒名の方が
修行気分がアップしていいのかもしれませんね。





別れの儀が終了した時にも

「今から、当主と住職は一緒にお茶をいただきますが
これは、かつて土葬だった時代には
死者の枕元に膳を供え、死者の霊がめしの中に宿り復活することを念じて共に頂いていたことの名残なのですよ

そして、
この枕元の一膳飯は、中身のご飯を取り出してお棺の中に一緒に入れて
お弁当にして持たせてあげましょう」


参列のみんなにも、
湯呑みのお茶がお盆から手渡された。

伯父さんの霊が復活しますように。


とおるちゃんの時、

里の母が部屋の隅にさとこを呼んで
「ちょっと、さとこ、茶托をつけないなんて非常識ですよ。なんで用意しないの」

そんなこと今言われても、とパニックになったさとこでしたが

こちらでも茶托がなかったので
この地方の葬送セレモニーには必要ないことがわかり

7年8カ月が経とうとしている今、ようやく安心した次第です。




ヤス伯父さん、ずっと在宅生活で

体調が悪くなって手術を受けて
成功はしたけど
その後、容態が悪化したって

95歳の体力でも手術を受けるってすごいけど
なんの手術?と思いながら

出棺に同行する。


火葬場は


…やっぱりつらいね。


でも、そのあとの葬儀式・告別式と初七日の時にも

心がホッとするお話を聴きました。


「死んだからといっても
今までと変わりません

台所の窓から覗いている親と一緒なのです

みんな、元気でたのしくやっておるかなと、
側で見守ってくださるのです。」


「これから四十九日までの、七日ごとに手を合わせますが
初七日は、ご家族の負担を減らすために、葬儀に続けて本日執り行いました。

これからの七週間、
わざわざ決まった場所で拝む必要はありません。

どこにいても故人を思い出して

みなさま、よい七週間を過ごされますように。」


ああ、すがすがしいですね。




なんと、義母、さとこまで七日法要の席の人数に入れており、
初めて自己紹介する人もいるような場に混じってしまった居心地悪さを感じつつ。


ヤス伯父さんの7人の子供が一堂に会するのは
十何年ぶりだそうで

ちょっとしたパーティーの盛り上がりでした。


ヤスおじさん、みんなが賑やかにしてるの
嬉しかったんじゃないのかなあ。


喪主の長男さんが
遺影に日本酒をなみなみと注いだコップを「ほい、じいさん、シッカリ飲みなさいよ」って。


喪主さんってほんと、大変だと思う。


長男を早くに亡くしたはてるま父母、もちろん傷心だけど

お母さん大好きのとおるちゃんの立場にしてみれば

お母さんを見送るという辛さを乗り越えなくてもよくてラッキーだったんじゃないかと思いたい。


残された方が
本人より辛いことが多いからね。


それにしても、
黄檗宗、いいなあ。


はてるまの家の曹洞宗は、
「死んだら無になる」と言われちゃって

どこに救いを求めたらいいの?って感じだし


沖縄の先祖崇拝の宗教観が一番近いかなと
今まで思っていたけれど、

さとこにしっくり合う気がする黄檗宗、
ちょっといろいろ知りたくなってまいりました。


ありがとうございます、ヤス伯父さん。

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[2017/06/16 04:22] | ・今(なま)ぬあたす。 | page top
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