腐食連鎖 (デトリタスサイクル) に加わりたーい
やっとソルビトールパンを買いました。
2本と、ソルビトールパンのミミ一袋。
大人買い

絶大なる効果を誇っていたソルビトールパン、どうやらさとこの体があっさり順応してしまったらしく、一栄一落。
ほぼ2斤以上を一気に食しても、気配無し。


さて困ったぞ。

繊維質のものを片っ端から試す。
玄米、ごぼう、レンコン、さつまいも。

バナナ、ヨーグルト、リンゴ皮つき、プルーン。
冷たい牛乳にも挑む。

自転車で走り回る。
テレビ台でツイストする。
パソコン見るときも正座を止め、椅子に座って1.5リットルペットボトルを足に挟んで腹筋力UP。

ピンクの小粒ピューラックも試す。


豆乳にニガリをドボドボ入れて、四杯。

疲れはてた翌朝。
ようやく成果があった。

こうなると、もう何が有効だったのか、わけがわからない。


デトリタス食者ってご存知ですか?

ちっこい生き物が、微生物が死んだあとの有機粒子を食べて、腸管の中でまとめて、便秘もせずに、立派なうんこを生み、有用な栄養源として提供する素晴らしいサイクル。
生きているだけで生態系を支えている、ニナ貝やみみずさんやナマコちゃんたち。

できることなら、来世は、そんなヒトタチに生まれ変わりたいな~





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[2014/01/30 18:12] | ・うりカメ―、やれカメ―。 | page top
1月の小さなトピックスたち。
過去の旅行レポートを思い起こしている間にも、着々と日々は過ぎ去っておりまして。


前年から、『はてるま一族餅つき会』の日を12月23日と早めに設定したことにより、年末年始の慌ただしさが若干分散。
しかも、巣の鏡餅は31日まで冷凍しておいたおかげで、例年のごとき『カチカチ且つ彩色豊かな静物』に変身せず(つまり、カビだらけを免れたってこと)にすみました。
11日の鏡開きにもまだこんな状態。
10日以上経ってるのに…
白味噌仕立ての磯海苔てんこ盛りお雑煮にして、おいしく頂きましたッす。


7日には、昨年のお守りを焼いていただこうと、とんどさんにも出掛けました。
この町に住んで五年になるけど、自治会に入っていなかったから、とんどさんに行ったのは初めて。
あちコーコーに焼けてるおもち
銘々が丸餅を持ち寄り、長い青竹の先を二つに裂いた間に挟んで、じっくりあぶっておられました。
でーじおいしそ~


さとこは、レメロン開始以来、餓鬼がとりついたかのごときすさまじい食欲です。

逆流するまで食べ、疲れて眠る。


頂き物の多い季節柄、食材がふんだんなので、例のソルビトールパンを買わなくなったとたんに、便秘との闘いが再燃。


運動・乳酸菌や食物繊維摂取・水分補給や腹部マッサージなど、激しく展開しておりますが、効果なし。
食べれば食べるだけ、溜まっていく一方なのでございます。


最近は、大好きなおさかなも、海苔も納豆も漬け物もお豆腐もお預け。
圧痛と吐き気で、お通じに効き目がありそうなもの以外は口にする余力がないんだもーん。





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[2014/01/30 16:26] | ・今(なま)ぬあたす。 | page top
焦るゥ。
町の小学校給食調理師の募集が出た。

栄養士免許ならあるぞ。
どうせ4時には起きるし、学校は近いから、徒歩で通勤できる。


定職につけば堂々と沖縄に通えるし、なにより、一族が安心する。
それに、方丈さんからも「頑張って戒名考えるから、そのかわり、さとこさんも頑張らんといけんで~」と言われているし。


母に相談してみた。

「力は要るけど、分量も献立も決まってるから、洗い物や切る気楽な仕事だよ。
出来ると思うなら、いいんじゃない?」

就職の意思を喜んでいる。


ただ、毎日続けられる自信はあるのか?
自問自答。

どうしよう…


こんどは兄に相談してみた。

「良い話かもしれないね。ただ、勤務条件や職場環境にもよるだろうし、耐えられるかどうかはドクターの判断も要るんではないか?
学校給食調理員はもともとかなり重労働だし、何人いるか知らないけど、もし休んだら他の人にえらい迷惑かかって最悪給食時間遅らすことになってしまう。
そういう意味ではとても責任が重い仕事だと思うけど、それでも大丈夫か?
母が勤めていた保育園と、俺の勤めている学校ではきっと違うんだろうな(^_^;)
うちの職場見てると大変だぞ~(^_^;)
今は衛生管理も大変だし。」


そーだよなー。
確かに、美らかーぎードクターも、仕事を焦るなとほのめかしてはおられた。


母は、わたしが働くことで自分が生きることの存在価値がでて、生活の張り合いにつながるだろうと思ってくれたんだろう。
でも、それはあくまでも私自身の都合で、職場のスタッフの一員としての考え方じゃないもんね。


…。
思案の挙げ句、見送ることに。
方丈さん、戒名、もうちょい先でもええです


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[2014/01/28 18:33] | ・今(なま)ぬあたす。 | page top
現実の世界へ。
さて、那覇からは無事に空港まで戻ってきたものの、当然、内地は極寒。
高速が雪にて通行止めでございました。


とりあえずシャトルバスで市内まで出てきて、東横インに飛び込んだら、ラッキーにも空室あり、1泊することに。


実は、延泊したのには他にも訳がありまして。
沖縄本島最終日の荷物の準備の際に、軽バンさとこ号のキーと巣の鍵のことを不思議なほどすっかり忘れており、那覇を立つときになって、いきなり思い出したんです。

巣の鍵はさとこ号の中ですが、肝心のさとこ号のキーは、スーツケースの薬用の内ポケットのフックにかならずひっかけているはずなのに、いくら探してもみつからない。
こんなに探しても無いなら、てっきり送った荷物に入れてしまったものと思いました。


もしもの為にと、ぴよ子さんに巣の鍵を預けていたので、特急列車で帰って巣の鍵を受け取り、翌日、また特急に乗ってさとこ号を取りに来ようかなーと考え、JRまでのシャトルバスに乗りました。

シャトルバスが発車してから、念の為スーツケースを再度開いてみたら、なんと、キーは所定のフックにかかっているではおまへんか


終バスなので、もう空港には戻れません。
キーがあれば、向こうみずなわたしのこと、きっと高速で行けるところまでは行って、下ろされてからは下道に迷いこんで雪に埋まっていた事でしょう。


翌日、空港にもどってさとこ号発進。
高速のパーキングで、雪道に慣れている業者さんから情報をもらいましたが、雪道に慣れているベテランさんでさえ「18日の夜はひどかった。峠の手前から通行止めで、下道でバックしようにも車がはまって動けずどうしようと思った」
と言ってたくらいだから、決行していたら、まだいまごろはどっかにめり込んでいたままだったかも。

あとで弥生さんに言ったら、「キーを隠したのは、とおるにーにーの仕業です」と断言されてしまいました。(笑)

昨晩運転して帰るつもりだったときにも、ユタさんから「とおるにーにーが心配してるけど大丈夫?」と電話あり、とおるちゃん、心配し過ぎみたいです。
で、翌朝、まさに出発ってときにも、ユタさんから「大丈夫?」って電話ありました。
見えてんのか、とおるちゃんがやいのやいのと騒ぐのか、偶然なのか。

不思議ですねー。


そして、さとこは那覇出発後にも修行のように食べ続けておりました。

那覇空港で買ったゴーヤーサンドイッチとグルクン弁当を深夜に食べる。
翌朝はタンカンとクバ餅の朝食。
空港隣の温泉施設にお土産の豆腐を買いに行って『豆腐とアイスのキャラメル醤油がけスウィーツ』と肉まんを食べる。

大盛りはないの? 初めての白桃チキン丼
サービスエリアで白桃チキン丼を食べる。
夕方には干しぶどうがぎっしり詰まった食パンを、運転しながらもしゃもしゃ。

こんなに延々と食べておりましたが、体重は全く変わっておりません!

とおるちゃん恐るべし…。
一方、わたしの方は食べ過ぎで口内炎があちこちにできたのを理由に、泡盛で消毒しています(笑)


そして、きわめつけに、巣に帰った途端に歯の詰め物がとれ、その夜から絶食となりました。
それまでの暴食は、この為の準備だったかも?

にんじんしりしり大盛りと、ジーマーミー豆腐と、ムーチーとヒージャーミルクの晩御飯は丸のみでございます。
お預け中

これにて『風の生まれる島初回訪問』の全行程報告を終了します
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[2014/01/24 06:15] | ・風の生まれる島初回訪問(古い順) | page top
食べる。ひたすら食べる。とにかく食べる。
風の生まれる島から那覇への便も難なく飛び、本島に戻ってまいりました。
これだけ予定通りに物事が運ぶのは、極めて稀だとか(笑)。


沖縄から戻ったらとおるちゃんにチャンプル作れるように、買い出しに出かけましょう。
一旦ホテルに荷物を置いて、折り返しジャスコへ。


モノレールから見るとみんな傘をさしており、濡れる覚悟でヤッケを羽織って外に出ると、やっぱり雨は止んでいる。
とおるちゃん、いつもありがとねー。

ジャスコのお酒売り場には泡盛がズラリ。
全部欲しーい
いままで見たことの無い四リットルペットボトルとかあって、ココロが浮き立ちます。
いいな~。

空き瓶の始末にいつも困るので、自分用に紙パックの泡盛を三つ買いました。


とおるちゃんが私の口から食べているらしいので、たくさん食べることにしまーす!
ジャスコで、島のおさかなのお刺身二種と、ファミマでおでんを購入。

翌日はチェックアウトだから、今夜はホテルで宴会です。
ホテル宴会


最終日の朝食は、じーまーみー豆腐とクバの葉のムーチーで済ませ、チェックアウト。
トランクは預けたままにして、ユタさんのお母さんが大好物のタンカンを買いに、まちぐゎー(市場)や迷宮のようなすーじぐゎー(小路)へ出掛けました。


おかず横丁はお惣菜天国。
珍しいおかずのパックが店先にズラリと並びます。
とおるちゃん、待て待て。大はしゃぎしても、さすがに全部は買ってあげられない


天ぷらの匂いに誘われて、おばちゃんがつくる天ぷらを一種類ずつ買いました。
あちコーコーがたまらない♪
さかなと、いんげんみたいな豆と、もずくかき揚げと、セーイカ。
どれもものすごく美味しいけど、わたしはさかながいっとう好きです。

ベンチに座ってモグモグしてたら、次々に観光客が足を止め、同じように買い始めました。
さとこ、客寄せになったかな?


その後、いつも沖縄物産展にくる『琉宮』さんを市場で発見。
とおるちゃんはここのスイーツが大好物だから、物産展の時もすごい食べっぷりで、物産展のブログにもちゃっかり売り込んでおりました。
琉宮さん きゃー!素敵

ホット黒糖ミルクを頼んだら、ぜんざいの小盛りが出来るっていうから追加注文しちゃいました。
そしたら、ぜんざいは並(つまり、巨大)が来てしまい、ど、どぅまんぎた~
サービスで味見用に黒糖クランチや、ウコン豆などもついてきて、頑張って完食。

…すでに吐く手前でございます。

それでも、一食くらいはとおるちゃんをお店に連れて行きたいと思い、国際通りに面したビル三階の牧志食堂でお昼ごはん。
お肉らしいお肉を食べさせていないことに気づき、『牛肉と豆腐の味噌炒め定食』にしました。
ステーキじゃないのぉ?

前傾姿勢で店を出ます(笑)。
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[2014/01/23 10:24] | ・風の生まれる島初回訪問(古い順) | page top
行ってらっしゃい?
いよいよおいとまの時間が近づいてきました。


宴会でいっぱいお話しかけてくれたにーにーが、わざわざ仕事を抜けて、「またね」とお別れの挨拶に来てくれ、急にさびしくなりました。

右麻痺リハビリをがんばってるおじさんが、運転してお土産を買って来てくれました。
島には、空港かホテルの売店くらいしかお土産ものを売っていそうなところはないのに、どこまで探しに行ってくださったんだろう。
なにもかもが離島価格で、超割高なのに、年金暮らしには堪えるはず…。


そんな中、猫さんは相変わらずマイペース。
雨の中、遊びに行っては帰ってきて「開けてー開けてー」と呼び、開けてもらうと、ねーねーのお尻の下に一直線に飛び込みます。
ここが好きなの

猫さんは、家族の中でねーねーがいっとう好きで、何処へいくにもついて行きます。


さて、最後に猫さんにも会えたことだし、出発の時刻となりました。

お世話になった神様方や祖先さまにもご挨拶。
お母さんにもおいとまを告げると、「またいらっしゃいね」と見送ってくださいました。

ユタさんの運転で、ねーねーとおじさんまでが空港に見送りについて来ちゃったので、さとこはあわや泣きそうに。
『ウルルン滞在記』を演じたくはないから、車のところでお別れし、そそくさと空港内へ飛び込みました。


ユタさんは、なぜか、握手しながらニヤニヤと「行ってらっしゃい」を繰り返しておられました。

島の人は、約束を固く守るから、その場の社交辞令は通用しません。
軽い気持ちで「行ってきます」とは返せませんでした。

先の予定を入れると、それまで現世に留まらなくちゃなんねぇし…


後日、弥生さんから、「とおるにーにーが島がすごく気に入って、また来たいと言っている。とおるにーにーの陰謀で、また来ることになるだろうから、ユタも別れ際に、行ってらっしゃい、と言って見送ったんだって。」と聞きました。

はっさよ!
知らんかったさー!
いつそんな話したかねー?

弥生さんが、ユタに「にーにーが島を気に入ったことをねーねー知らんかったみたい」、という話をしたら、「話をしたけど、その時はあんたのにーにーが半分出てきていたからねぇ。半分しか聞いてないからだねぇ。」と言っていたそうです。
時々、とおるちゃんがしゃしゃり出てきていて、記憶が曖昧な時は、その時はとおるちゃんモードに切り替わっている可能性があるらしい。

弥生さんも「それは初耳だ!一緒に食べてることだけでも驚きでしたが…スゴイですね~!」と言ってました。


今回、いろんな出会いがありました。

そして、ねーねーとさとこは同い年。

同級生のことを島ではディンディムヌと言い、ディンディムヌは堅い結束で結ばれる傾向にある。

「みんな子育てとかで忙しく、島の同級生とも会えないのに、知り合えて良かった。
今度はお客さまではなく、家族として来て」と言ってもらえました。

やっぱり『ウルルン滞在記』だ~


そして、とおるちゃんの希望通り、再び島を目指すことになったのですが、それはまたの機会に…。
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[2014/01/22 08:55] | ・風の生まれる島初回訪問(古い順) | page top
霊能力。
わたしがボチボチ帰り支度を始めていたら、息子さん連れのにーにーが訪問。


その人は悪いものをいっぱい持ってきたらしく、ユタさんは途端に具合が悪くなったようです。
そういうのをひとつづつ受けとめて浄化するのがユタの役目。

ユタさんにしても弥生さんにしても、他人の悪いものを自分の中に取り込むので、いつも熱が出たり、右目がものすごく痛くなったり、疲労で動けなくなったりするらしい。


そーそー、とおるちゃんのマブイ込みの時にユタの代理をしてくれた彼女も、吐き気と頭痛で、立っているのも大変らしかった。
あの時は、はてるま母にも飛び火してたもんね。

別件で、具合が悪い人の相談をしようと本人の写メ送ったら、開いたとたんにユタさんがぶっ倒れてしまったこともありました。
ほんと、命張ってるなあ


ユタさんは内地にやはり霊能者の彼女がいて、自慢の写メを見せてもらいました。
ちゅらかーぎー(激マブ)です!


みんなそれぞれ神様からの波動を受け止めて交信する方法は違うらしい。

弥生さんに起きる現象は、夢で見るかたちと、脳裏に漢字が浮き出てくるのとがあるんだそうです。
夢の場合は、出てきているのが本人なのか、本人の姿を借りた別の人なのかの判別ができにくい。
たとえば、とおるちゃんが夢に出てきても、本人の場合と、はてるまの祖先様がとおるちゃんの姿を借りて現れる場合があるようです。


次男が死ぬ夢を見て二男を完全ガードしてたら、実は死んだのは三男だったとか、よくある話で、夢は真意がつかみにくいとか。

ま、霊能力の片鱗すらないわたしの場合は、自分で作り出したパ二ックワールドに巻き込まれているだけで、『知らせ』などではないのでしょうが(笑)



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[2014/01/22 08:52] | ・風の生まれる島初回訪問(古い順) | page top
最終日。
この日は都道府県対抗駅伝の日でしたが、同時に石垣島駅伝もありました。

島からも精鋭達が参加しているらしく、各戸の防災無線から数分おきに石垣島駅伝の実況放送が流れてます。
ここんとこ、三年連続優勝らしい。
すごいねー。


ねーねーがフレンチトーストを作ってくれました。
食べだしたら止まらない

溶き卵の味付けは塩のみ。
これに、四つに切った六枚切りの食パンをくぐらせ、フライパンで焼きながら、焼けた分からそれぞれのお皿にぼいぽいと配ります。
これがまた激ウマで、とおるちゃんとわたしも、なんと六つも食べました。
そのままでも美味しいけど、発展型として、梅ジャムをつけると新たな味との出会いです。


画家ちゃんは今日は11時からの出勤で、朝ごはん準備の慌ただしい合間を縫って、わたしの太鼓に、琉球王朝の家紋みたいなのを筆入れしてくれました。
仕上げ

相変わらずの寒さで、みんなぶるぶる震えている中、ユタ家の方々は半袖もしくはフレンチスリーブ(笑)。

「何のためにこの肉があると思ってるわけ」と、豪快に笑います。
確かに、食べ頃サイズではありますが


駅伝中継を聞きながら、みんなでとぅるばったり(のんびーりしたり)。

右麻痺のおじさんに、ユタさんが普段自分で行っているストレッチのコツを教えます。
でも、そばで励ましてくれる人がいれば頑張れるけど、ひとり暮らしのおじさんには、継続はなかなかむずかしいよね…。
島に療法士がいればいいのですが


歯医者さんですら、三時間待ちらしく、「そんなに待てないよ。まだおいしく食べられるからいいよ。」とユタさんの虫歯も10本未治療のまま。


お昼は、ユタさんがそうめんのお味噌汁を作ってくれることになりました。

さとこは、見学兼一部介助。

大根と人参を短冊に切り、白ネギは斜め切り。
お味噌は二種類を合わせてました。
そうめんは、乾麺のまま入れますが、ご飯が炊けるまで暫く時間がある。

待つ間、またまたゴロゴロします。


ユタさんとわたしが昼ごはんの支度をしている間に、ねーねーがわたしのために、御守りのブレスレットを作ってくれていました。
これ以上守られてどうする(笑)?
ユタさんを守る大日如来を表す凡字の水晶玉がついています。

一度重さを確認したあと、ユタさんが気を入れる。
不思議と、少し軽くなりました。
そのあと、小皿に入れて泡盛にしばらく浸しておいて完成です。

悪いものを吸うと重くなってくるので、そんな時はまたお酒に浸けて清めるんだそうです。

他にも、ちょうど修理を頼まれたブレスレットがあり、触らせてもらいました。
ねーねーが直した直後と、ユタさんが悪い物を払った後とでは、やはり重さが違う。
不思議だ~。

ブレスレットを払ったあとは、泡盛もよく吸います。
小皿にヒタヒタにあった泡盛が、ほとんど空になってました。


さて、ご飯が炊けたのでお昼にします。
そうめん味噌汁定食
ユタさんも調理は得意みたい。
そうめん味噌汁、とても美味しかった。


とおるちゃんについて聞きました。

ユタさんには、わたしの隣でとおるちゃんが一緒食べているのが見えているらしい。
生前と変わらない姿だそうです。

わたしが膨大な量を食べるわりには体重が全く増えないのは、とおるちゃんが私と一緒に食べているからで、わたしが二人分食べても、全部がわたしの栄養にはなっていないんだそうです。

確かに
毎晩4時までぶっ通しで飲み食いして、すぐに就寝(気絶?)しているわりには体重は大きく変動していません。


「内地に帰ったら、フーチャンプルと人参シリシリを作れ」と言っているらしい。(まだ食うか・笑)
どっちもとおるちゃんの大好物だもんね。


そして、ねーねーからもらった絞め太鼓を、早速ぺちぺち叩いてたら、とおるちゃんはわたしの隣でものすごく喜んでるそうでした。

そらそうだわさ。とおるちゃん、ドラマーだもんね
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[2014/01/20 19:57] | ・風の生まれる島初回訪問(古い順) | page top
みんな、お肌のメンテナンスは大丈夫なのか?
深夜。
帰ってから、ねーねーがわたしに絞太鼓を作ってくれるとのことで、そばで見てました。

もちろん本物ではありません。
段ボールを張り合わせ、何色もの荷物紐を編んだりビニールテープで飾り付け、みるみるうちに出来上がっていきます。


島の過去の悲しい歴史や、今も伝承される独特な習慣や文化についても、いろんな話を聞きました。
島では、亡くなっても今なお出歩いている方は多いらしい。

ユタさんは、運転中でもいきなり目を見開いて体を震わせることが頻繁にありますが、きっと、その人たちが体を通り抜けて行くんだわね。


4時就寝。

ねーねーは猫さんと一緒に離れの2階へ。
ユタさんは仏間で雑魚寝。
光栄にも、二つのパイプベッドは画家ちゃんとわたしが使わせてもらいました。

沖縄なのに、かなりの冷え込みです。





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[2014/01/20 14:27] | ・風の生まれる島初回訪問(古い順) | page top
日本なのか? 異国なのか?
8時起床。

お風呂をいただきました。
窓にガラスがないので、なんとなく露天風呂気分(笑)
かなり寒いけど、とおるちゃん死後、わたしは風邪をひかない体質に変化しているので、無問題。

見れば、シャンプーやリンスがいっぱい並んでいる。
「すげー。美容院みたいだ」とよくよく見たら『蚤取りシャンプー』。

わんこたちのでした。
わんこは三匹。
みんなスレンダーで軽いです。
甥ごさんの隠れ家にも数匹居たけど、やっぱり栄養過多の肥満ちゃんはいませんでした。


猫さんも居て、自分を猫だと気づいていないようなリラックスぶり。
りらーっくす チョーりらーっくす


ユタさんもお風呂に入り、「朝ごはんを食べに行くよ」と誘われたので、近くの商店へ。

商店はいくつかありますが、コンビニやスーパーはありません。
商店で朝ごはんを買い、島一周ドライブするのにそれほど時間はかかりませんでした。


11時。入江を見ながら、遅い朝ごはん。
天ぷらセットとカジキの天ぷら(ちぎり揚げ)とお寿司でピクニック。


ユタさんは右麻痺だけど、ズボンの紐を結び直してほしいと頼まれた以外は、ほとんど何でも自分でされます。
倒れた直後から、身体の麻痺に対する受容ができていて、「できない」とか「やりたくない」とか一言も口にしなかったそうです。
すごいなあ。
顔面にも麻痺が在るから、しゃべりにくいし、しょっちゅうむせて咳込んだり。
歩き過ぎると足底がねじれて右足がつったり。


ユタの能力は、何かの代償として与えられるそうで、ユタさんの場合は身体の自由と引き換えでした。だから、もとの体に戻りたいとは思わないそうです。
人を助けるという天命を受け入れ、そのために自分は存在しているんだそうです。


もともと、ムヌチとして、佳い日取りとかの相談を受けるくらいの能力はあったのが、脳梗塞の後は更にパワーアップしているとか。


風で箱バンのドアが飛びそうになるのを押さえながら、野草を探しました。


オオタニワタリの芽や、ホウビカンジュのぜんまいの見つけ方を習いました。
ユタさんの大きな手は金網のフェンスに入らないし、わたしは高いところは届かない。
そんな時は、ユタさんの膝に足をかけてよじ登って収穫します。

アレチノギク・ニガナ等々、たくさん教えてもらいました。

必要なぶんだけ感謝しながら採る。

採った野草は、夜のクワッチー(ご馳走)や、薬草風呂に変身するの。でーじ楽しみです。
暴風の中、灯台よりも高い波しぶきを見ながらユタさん家に帰ると15時でした。


ねーねーも仕事から帰ってきていて、外の洗濯機の上にうず高く積まれていた洗濯物をやっつけている最中でした。

年末からずっと続いていた雨が初めて上がったそうで、洗濯機はフル稼働。
道理で、家中が洗濯ものの展示室みたいになっていたわけだわさ。


みんな、これから昼ごはんとのことで、ねーねーが手早くポーク玉子を作ります。
大盛りごはんにポークとスクランブルエッグ。
右麻痺で不自由なおじさんも誘って、みんなでパクパク食べました。


洗い物ならわたしでもできるので、食器洗いや、ねーねーが使った道具類の片付けはわたしの役目。

そのあと、ユタさんに聞きながら、薬草風呂に入れる植物を2㎝くらいの幅に切り、軽く洗って洗濯ネットに入れます。
ユタさんがお風呂の準備にもついていて指示してくれました。


さとこ、なんだか嫁に来たみたいでニヤニヤ。


おじさんはかなり麻痺が強く、麻痺側の手も、かばっている健側にも、痛みがあります。
島には介護保険の通所リハビリはなく、あるのは診療所だけ。
みんなヘリコプターで運ばれて大きい島の病院に入院するの。

ユタさんにストレッチのやり方を教えてもらって、見習い療法士さとこ、おじさんにストレッチ施行。
そしたら、おじさんの右腕は自分の左手で上まで持ち上げられるようになり、ビックリ。
定期的にリハビリを行えば、かなり回復するのに残念です。


晩御飯は、今日の収穫物で大ごちそうだったから、またまた大ゆんたく会。
野山の恵み

ねーねーが一番おいしい食べ方を教えてくれます。

ぜんまいとオオタニワタリは茹でただけ。好みで、マヨネーズとか、唐辛子マヨネーズとかをつけてね。
アレチノギクは茹でて鰹節と醤油でお浸しに。

ニガナはマヨネーズで和えました。

大根の間引き菜は、わたしのリクエストで味噌合えに。

大根や人参をスライサーで切って、キムチなべにし、山盛りのパクチーを載せて食べます。


薬草風呂も用意ができ、さとこ、僭越ながら、一番風呂を頂戴いたしました。
普段、みんな浴槽に湯を貯めないから、夕べのメンバーにも声をかけます。


いろんなお話をしました。


ねーねーは何にでも器用な人で、缶コーヒーのキャップを合わせて作ったちっこい太鼓をくれましたよ。
塩とお米が入っていて、シャカシャカ鳴ります。
御守りだそうです。

涙が出ました。


高齢チームは早めに引き上げ、23時、いったんお開き。

お片付けをしていたら「ごほうびに良いところに連れてったげる」と言われ、ユタさん、ねーねー、画家ちゃんと暴風の中へ。
着いたところは、ショットバーでした。


暴風雨の中の蒼白いイルミネーション。
薄暗い店内。
知らない国の片田舎の港町って感じです。

とおるちゃんは、目玉焼きの柄の酒ビンと記念撮影。
かわいい酒瓶と
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[2014/01/18 08:35] | ・風の生まれる島初回訪問(古い順) | page top
ホームステイ体験?
宴会は深夜まで続きました。

島に来る人はみんなそれぞれ個性的なひとらしく、島在住一年になるにーにーは、奥さんから逃げるのに日本で一番目立ちにくそーなところ…と探したら、ここだったとか(笑)

もうひとりのにーにーは、全国をバイクで旅してて、たまたま事故ってしまったので、バイクを売ってそのまま住み着き、牛飼いや畑をしているらしい。

画家ちゃんは、でーじちゅらかーぎー(激マブ)です。
内地から移り住んで、ホテル勤務をしながら創作活動に専念している。


宴会は仏壇や神棚がある、玄関上がったところの一の座でありました。そこが生活の中心らしい。

左手の部屋を通り抜けて台所に行きますが、台所の天井は抜けていて雨漏りがするのをデカいビニールで被ってあります。たわんだ一ヶ所がちょうど流し台の上になるようにしてあって、雨水は流れて流し台のたらいに溜まる仕組みです。
ナイスアイデア!

水は無駄なく使えるように、外のあちこちにも溜め水がありました。トイレの手洗い水も、ドアや窓のない廊下横にあるバケツで行うようです。

なんか、懐かしーい

トイレの戸はあるけど、上下が空いていて、見上げると、柱の上のおっきなねずこと目が合いました。
水洗だけど、水が貯まるのがゆっくりなので、紙が流れず、うっかり落としてしまうと、その都度カッポンでおてつだいしてやります。

お母さんは、仏間と台所の間の部屋で寝起きしています。
1日の大半をベッドでテレビを観て過ごしておられるみたい。
そのわりに体は元気みたいでびっくりです。
島民同士で話す言葉は、超難解。
ほぼ100%わかりません(笑)。


仏間右手のお部屋にはパイプベッドが二つ。みんなが、一部重なりながら、いろんな形でいろんな場所に寝ているので面白い。


ユタさんは、早朝に画家ちゃんを送る為、眠らずにパソコンを見てました。
わたしも隣にすわると、神棚の水晶玉を持ってじっと見ていろと言われ、しばらくそうしましたが、残念ながらわたしには何も見えませんでした。


明日は野草を採りに行こうねと約束し、三時半就寝。
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[2014/01/18 07:30] | ・風の生まれる島初回訪問(古い順) | page top
とうとう、風が生れる島へ。
いよいよ、風が生まれる島に渡る日となりました。


弥生さん情報によると、14日・15日・16日の予報。

最高気温は16℃前後、最低気温は12℃前後です。
そして北風が常に10~15メートル吹いていて、これは絶対に止むことがないんですと。ずっと吹き続けるから『風が生まれる島』なんですね。
気温16℃でも、風速15メートルの北風にさらされたら、体感温度は1ケタです。
雨で猫が凍死すると聞きました(笑)


15時までは、楽器屋さんで、ギタリストにはのピック(ほんとは58号線だけど)や、ドラマ―には、うめーし風に赤と黄色に塗り分けたドラムスティックを発見。


そして、ホテルのすぐ近くにこんなお店を発見!
フローズンヨーグルトの専門店です。
お!こんなお店が 壁面のレバ―からヨーグルトが生まれるの

16フレーバーのヨーグルトが、壁の蛇口から選べます。
40種以上のトッピングもあり、自由にチョイスしてg計算でお勘定。
トッピングの数々 きゃーっ♪

とおるちゃん大興奮
とおるちゃん大喜び
これをブランチにしました。


さて、満足したところで那覇空港へ。

島への直行便は46人乗りで、週四本のみ。
一便をあちこち使いまわすので、時間がずれ込むことや欠航が度々あり、今回も悪天候で45分遅れで離陸しました。


島は暴風雨ときいてましたが、滑走路が見えた頃から雨風が止み、無事に到着。
さすがとおるちゃん。

RAC(琉球エアコミューター)の直行便は、弥生さんのお気に入りで
「飛行高度が低いので耳への負担が少なく、景色もいい!島々の真上を通り、森の深さや川の大きさなどが空から確認できる、なかなか無いチャンスです。
昔YS-11だった頃には当たり前に見ていた景色だったんですけど、ジェット化したらあまり見られなくなりました。なので低空飛行するRAC便はオススメです。ちなみに、あの飛行機はカナダ製でして壊れると部品をカナダから取り寄せるので、修理に時間がかかります。」
てことでした。


楽しみにしていたけど、大荒れで雲の中だったので、共感できずちょっと残念。

空港に着くと、ユタが迎えに出てくださってました。
右麻痺なのに普通のオートマ車を運転している!
キーを左手で回してエンジンをかけ、サイドミラーだけでバックもします。


島には信号は二ヶ所。
甥ごさんを迎えに行って合流。
彼は、わたしが来るからと、夕べは潜ってイラブチャ―をモリでついたり、夜光貝をとってくれてたそうです。
いーなー


部落の説明をうけつつユタさん家に到着。

お母さんと、ユタさんのお姉さん友愛ねーねーが歓迎してくれました。

友愛ねーねーはわたしと同い年で、お料理上手。
ユタさんは私より三つ下でした。


夜は大ゆんたく会。

写真が、夕べの獲物を塩とクバの葉で包んで蒸し焼きにしたもの。しまった!箸をつける前に写しそこねた
クバの葉で蒸し焼き
他に、夜光貝とふぐとイラブチャ―の刺身、グルクンとニンニクの葉や大根の間引き菜の唐辛子味噌合え、トマトやパプリカやアボカド・きゅうりのサラダのクワッチーが、次々に並びます。


美らかーぎな画家さんや、右麻痺になって船乗りを断念したおじさん、甥ごさんや、ないちゃーの友人二名も結集。
とにかく、美味しく楽しい夜でした。


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[2014/01/16 05:45] | ・風の生まれる島初回訪問(古い順) | page top
二日目も堪能。
宮古島から那覇に戻ると20時でした。


とおるちゃんに、んきゃどらバーガーを食べさせたりラスカリングをするうちに、やっぱり22時を回っての出発となりましたが、本日の最終目的地である、沖縄喜劇の女王の店『仲田幸子芸能館』へ。

いつもは一泊二日のとんぼ返りで時間がないけど、今回はぷーたろーの身。
日程をゆったり取っていたから、なるべく節約してタクシーも使わず、移動は全て徒歩かモノレールと決めていました。


今日は成人式だったみたい。
スーツ姿のにーにーで溢れかえっている繁華街を抜け、ウロウロ一時間くらい歩いたら、無事着きました。


芸能館は3回目。
「ないちゃーだのに民謡知ってる」というインパクトもあり、顔を出すと「あい!久しぶりねー。ちゃーがんじゅしてたねー」と気さくに声してもらえるので安心デキマス。
とおるちゃんも、まさえさんやみなさんにじゅんぐりに撫で撫でしてもらってにんまり。


ここはお椀にちっこい沖縄そばを出して頂けるので、1杯食べきれないわたしにはチョーありがたい。

そして、誰かのまぶいさんの話題がごくフツーにやり取りされているのが、やけに落ち着くし(笑)。
でも、「この人のお兄さんね、この間から入院してるわけさ。でもどこ調べても悪くないわけ。んで、ウガンブスクでシラシ来てるばーってことになってね…」とか早口で言われても、わからんがな(笑)

お店のねーねーは、カウンターのお客さんには、御本人用とは別に、泡盛の蓋に酒を注いで上げていて、減るとまた入れ替えてあげておられました。
さとこには見えない誰かが、一緒に楽しく呑んでおられるんだね。

民謡ショ―や踊りや、幸子さんのトークを満喫し、2時に閉店のあとは、またシタシタと歩いて国際通りまで。
寄り道せず、迷わなければ30分もかからない距離でしたわ。


帰り道、ボーヤンさんが周囲をぐるぐる廻って自己PRしてくれたのに、さとこがおばァだと気づくと、しょんぼり去って行きました。
ごめんよー。せっかく来てくれたのに(笑)


ホテル前のローソンに入ってみたら、ローソンおでんのネタですらも、てびち・ソーキ等、さすが沖縄県産色豊か。
おでんスープ用には、うどん以外に沖縄すばもありましたよ。

とおるちゃんが欲しそうにしてたので、おでんとソーミンチャンプル買って、ホテルに帰って二次会でーす。

沖縄ならではの品揃えてびちと沖縄厚揚で一杯


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[2014/01/14 10:09] | ・風の生まれる島初回訪問(古い順) | page top
とおるちゃん、元気でやってるかい?
ホテルに戻ると三時半でした。
八時まで浴槽に沈んで過ごします。

通りのお店が開き始めるのを待ち、みなさんからいただいた餞別のお返しを買って、早速発送。
親切にも、昨日買ったウチカビとCDも一緒に梱包してくれました。


さて、安心したところで、午後からは宮古島へ飛びます。

実は、沖縄の海が大好きなとおるちゃんがいつでも泳げるように、そして、わたしが一人でも気楽にお参りしやすい場所として、昨年、宮古島の与那覇前浜に、とおるちゃんのカルシウムをほんのちょんぼし散骨したのです。

つまり、今日は、とおるちゃんのお墓参りってわけですね。


その日の那覇は、風もなくやや汗ばむ陽気でしたが、宮古島空港に着いたら肌寒く、がらーんとしてました。
みやこまもる君勤務中 りりしい♪

写真は宮古島を守ってる「みやこまもる君」です。勤務中にも関わらず、ちょっと遊んでもらいました。


与那覇前浜までは、東急リゾートホテルの無料シャトルバスがでているから、宿泊客ふーじーで乗り込みます。
わたし以外に男性のお客様が一人だけ。

この人、背中から凄いオーラを放っているヒトだったけど、もしかして、田中星児かウメヅカズオかな?(笑)


東急リゾートホテルに到着すると、駅伝が間近なのか、にぎやかに横断幕が張ってありました。


まずはホテルのコンビニで、ワンカップ泡盛とタンカンジュース、ポーク玉子おにぎりをゲット。
空港の売店でもマンゴープリンとかぼちゃのサーターアンダギーを買っていたから、かなりゴージャスですよ!
ピクニック気分

幸い、浜には人影はなく、お酒を流してとおるちゃんを拝んで、いっしょにウサンデー(お下がりをいただくこと)しながら暫くとぅるばって(のんびーりする)みました。
おや、ヒコーキが

黒雲が立ち込めてましたけど、やっぱり雨は一筋も降りませんでした。


そして、空港行きシャトルバスホテルの時間までは売店を物色。

ホテルの敷地のそこらじゅうがお花で飾りつけてあるから、記念にパチリ。
通りすがりに記念撮影


当時、宮古島空港には、もずくを練り込んだバンズに、中身はマグロカツという、『んきゃどらバーガー』ってのがあって、これは大ヒット。かなりハマリました。
んきゃどらバーガー最高っス




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[2014/01/13 22:35] | ・風の生まれる島初回訪問(古い順) | page top
本島 初日。
飛行機の中で配られる『たびんちゅクーポン』はなかなかのすぐれもの。
わたしは、機内紙『コーラルウェイ』と『たびんちゅクーポン』で、なんとなく訪沖中の目標を決めるのであります。


雨の那覇に到着しました。


まずは、空港観光案内で北部と中南部のバスマップをゲット。
とおるちゃんと一緒の時はレンタカーだったけど、観光地を自分で運転するなんて度胸はございません。

定期観光バスの時間をチェックしたら、『南部戦跡巡り』に食指がうごめきましたが、残念ながら、集合場所に向かう時間がギリギリなので断念。


吹き降りだった雨は、ゆいレールに乗ってる間に止んじゃって、強風ですっかり道路は乾いている。

じつは、とおるちゃんが死んでから、さとこはおでかけのとき、傘を持っていく事は一度もありません。
今回も、全行程悪天候だったのに、移動時だけは、必ず止んでおりました。
すごいぞ、とおるちゃん。


とりあえずホテルについてみたら、まだ13時。
荷物だけ預かってもらうつもりでしたが、15時にチェックイン開始なのに、そのまま入らせていただけました。
わーい。

そして、お部屋は、12階最上階の一号室、角部屋でした。
わーいわーい。


ホテルについて、さとこが初めにすることは、まずラスカリング(お洗濯)。
これを終えないと、落ち着いた心地がいたしませんの。

ラスカリング後は、弥生さんお勧めの、赤嶺のマンガ倉庫へ向かいます。
内地では入手不可能な、沖縄県産色濃厚な中古CDや書籍を物色するのが目的でした。


牧志駅でモノレールを待つ間に、「そうだ、まずはとおるちゃんに訪沖一食目を与えなくては」と気づき、ローソンでポーク玉子おにぎりを購入。
「温めますか?」と言われたので、「ハイ」と答え、いったんホテルに戻ってお食事タイム。

さて、ポーク玉子おにぎり、開封したとたんにみごとなまでの完全崩壊。
スプーンですくって食べました。


今回の第一回目の教訓は
『ポーク玉子おにぎりは、温めてもらわないのが望ましい。』です。
みなさんも、御注意くださいね。


この日、那覇は11℃、南城というところは8℃だったらしい。
1月11日は旧暦12月8日。
まさにムーチービーサーを体感いたしました。


ムーチーについても学習いたしました。
内地のお餅は米を蒸してから成型するのに、沖縄のお餅(ムーチー)が成型してからクバの葉や月桃の葉に包んで蒸すのは、腐りにくいようにとの南国の知恵らしいです。
実際、わたしはホテルでムーチーを一週間近く常温で放置しておりましたが、腐ったり黴が生えたりすることは全くありませんでした。


さて、改めてマンガ倉庫へ向かいます。
この、やけに腰の低い店員さんが「ささ、こちらへ」と迎えてくれましたが、まだ働いておられるのかしら…。
まんが倉庫でまだ勤務してるのかな
「たびんちゅクーポン」のおかげで、1100円引きで8枚のCDをゲット。
とくに、八重山の方言のラジオ体操第一・第二、カラオケつき『新川スマムニ体操』は、心にも身体も力がみなぎる逸品でございます。


マンガ倉庫を出てからは、第二の目的であるウチカビ(あの世のお金。仏亊の際にはお墓や玄関前、仏壇前などで燃やして送ります)を買いに琉球ジャスコへ。

どこを切ってもシーサーのかまぼことか、とおるちゃん大喜びのにゃっとうとか、ワクワクな食材を発見。
太陽とシーサーのなるとかまぼこ 初めての出会い

さすが、沖縄。
缶詰のかまぼことか、1~2ダース単位で箱買いするからトゥーナー(シーチキン)の箱が山積みになっていたりとか、見慣れない光景に心が浮き立ちます。

そして惣菜コーナーでは、握り鮨は8巻で298円ですよ。
どーなってんの?


ホテルにもどったら21時でした。

21時って、まだ宵の口だへん?
国際通りに山ほどあるお店の中で、マーミナーチャンプル(もやしのチャンプルー)380円からと看板が出ている『きらら』というお店に入ってみました。
若い二人組がちょうどライブ中で、とおるちゃんと早速演奏とお話を楽しみはじめたところ、国際通りには珍しく22時半で閉店し、びっくり。


そのあと、フラフラと久茂地までさ迷いながら、0時頃、民謡酒場『島思い』にたどり着きました。
『島思い』は有名な大城美佐子さんのお店です。

店内を覗くと大城さんの姿が…
店員さんに確認したところ、演奏は2時まで、閉店は3時と聞き、それなら安心。


着いたときには前ステージ中で最後のカチャーシーが始まっており、他のお客様たちはワンステージが終わったので、ほぼ私と入れ替えに帰り、お客はとおるちゃんとわたしの一骨と生身一人だけに。
『島思い』のその日のブログにのっていた写真がこれです。
また行きたや島思い

前回は、とおるちゃん・沖縄バンドリーダー・踊り子1号&2号と来ました。
とおるちゃんとわたしのみずこちゃんが流れて二週間後だったなあ。


残念ながら、その時は大城さんはおられなかったので、今回はリクエストにも応えていただき、とおるちゃんもわたしも大満足。
しかもとおるちゃんたら、いっちょまえにミニミニの一品ずつを出してもらい、お陰でわたしは更に暴食を重ね…(笑)。

でも、楽しかったです。
大城先生はしょっちゅうステージに立たれるわけではありません。普段は男性の知念先先生が演奏されるらしいんですが、「だんなさんに聴かせてあげようね~」と、白雲節、那覇港何とか、石くびり、と次々唄って下さり、そして、夫婦船まで…。

「みーとぶに(夫婦船)」は、まさに曲名通り、人生の荒波を、夫が帆柱、妻が船の心となって、極楽の港まで共々に、という内容です。

むかしからいっとう好きな曲だけに、さとこは鼻水まみれ。
お店の美らかーぎさんたちまでが、アイメイクが人間離れした危険な状態に…。

他にお客さん来られなくて、ホント、よかったす。

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[2014/01/12 08:01] | ・風の生まれる島初回訪問(古い順) | page top
さてと…。どうやっていくのかな?

じつは、今回の退職を、家族にはまだ告げていませんでした。

心配した家族や親戚のさまざまなアドバイスを受けたり、それぞれから将来のことをあてにされて要求攻めにあったり、端井の義妹から早速自分の施設への就職を紹介されたり、そんな関わりから全く離れて、ゆっくり考える時間が欲しかったのです。


モノレールや定期バスであちこち歩くつもりで那覇五泊の予約をとっていましたが、餞別で頂戴したJTB旅行券が早速役に立ち、すぐさま、島までの往復切符を買いました。

対応してくれたJTBトラベルのおっちゃん、琉球エアコミューターなるものの存在を知らず、「おかしいなあ。そんな便はないですよ」。
んなわけないので、わたしが勝手に時刻表やパソコンを覗き見して「ほら!ここ。ここにありますがん」と一緒に探したり、片道27400円の往復割引で手配をされそうになって「マッタ!ここに24100円の特割の空席あるでしょうが!これを使います」と指示したり…。


このおっちゃん、旅行会社なのに、離島のアクセスは知らないのか?
挙句、「あちらに住んでおられるんですねー」とのんびり言われ、「…初めて行くんすけど」と答えたら「やー、日本っていろんな島があんですね~。」


おっちゃん知らなすぎ。
お宅の窓口のお嬢さん方はみんな知ってんだよ。
たっぴらかすよとは言わずに帰りましたけどね(笑)


さて、いよいよ出発です。

以前、当日朝の特急列車が土砂降りで2時間遅れ、飛行機を待たせちゃった苦い経験があるので、空港に近い温泉施設に前泊しました。


なんと、この保養施設、1階がお風呂で、ロビーのお土産物コーナー隣がデイサービスになっていて、びっくり。
二階は、昭和風の屋台食堂とかアカスリとかタイ風マッサージの設備もございます。

お泊まりは和室泊にしました。
畳が古くて、ズボンの脛に刺さりますので、ストッキング着用の方や、黒い服の方は注意が必要です。

豆腐屋さんの直営店があり、お豆腐以外にも豆腐ケーキや豆腐パフェ・豆腐チップスなど、何やら心躍る商品が陳列されておりました。


せっかくだから、豆腐と醤油を買い、持参した明太子と佃煮とご飯で夕食をすませました。
手作り豆腐にくぎづけ

でも、二階で単品からもいろいろ頼めそうだったから、機会あれば味してみましょうねー。


朝は四階展望レストランでバイキングです。品数多く、しかも手がかかってるし、でーじジョートー。
オクラに海苔が巻いてあったり、さつま揚げは、つなぎ少なく、ふんだんに白身の魚肉がでんぶみたいに繊維が分かる状態で揚げてありました。
テイクオフを見ながら優雅に朝食


空港滑走路を見ながら食べられるので、離陸した航空機が真上を飛んでいき圧巻です。
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[2014/01/12 05:50] | ・風の生まれる島初回訪問(古い順) | page top
風が生まれる島との出会い 弐。
さて、ユタからのお返事はこうでした。


「あなたが思うようにしたらいい
今まで通りでいい
旦那さんは二人で沖縄中を回りたかった。だから、かわりにあなたが回ればいい

本島だけが沖縄じゃない。

旦那さんは音楽をやりたいし、奥さんにも続けさせたい。
音楽で出会いを広げなさい。
上手か下手かなんて、関係ないこと。

たとえば、命日に沖縄に来て、野外でみんなに聴いてもらうとかでもいい。


奥さんが死ぬことを旦那さんは望んでいない
死んだら旦那さんは怒るよ

いろんなことをがんばりなさい

とにかく、まずは僕の島にいらっしゃい。」


まったく想定外の答えでした。


ただ、ユタがとおるちゃんの思いを代理でわたしに伝えてくださるとき、どうしてもユタご本人の主観が入ってしまうだろうから、言われた事まるまる全部がとおるちゃんの気持ちかどうかは分かりません。
だって、あまりもかけ離れた文化や習慣で生きてきた人物の言いたい事を100パーセント感じ取るなんて、普通、できっこないでしょ?


何にしても、直接会ってお礼を言いたいし、直に聞きたいこともあるし、でも、先の予定を入れて、そこまで生き続けるのはツラい…、と考えていたまさにその時、里の母の愛犬である黒柴のぷるたが失踪したです。
ぷるた


ぷるたは12月29日、小屋と壁の隙間を無理矢理広げて出ていったようです。
初めてのことでした。

この年末年始は記録的な豪雪で、すべての交通機能はストップ。
わたしも義父から「この正月は帰ってくるな。事故と渋滞で身動きがとれんぞ」と言われ、まさにその通りでした。
電線は切れて、一帯は停電。
港の船も圧雪で沈没という有様。


ぷるたはかなりの老犬で、白内障で、お座りもできないほど関節がこわばっており、母もわたしも、死に際を見られたくなくて去っていったのかと思いました。
遺体が雪の下では冷たくて可哀想だから、せめて手がかりをと、ユタに写メを送ってお願いしました。

そしたら、「大丈夫。心配しなくても帰ってくるよ。雪の下にはいない。きっと保護されてるよ」とすぐに返事がきました。
まるで夢の様です。


そして、少し交通網が回復しかけた1月4日は義父の通院日で、悪天候のため病院は貸し切り状態。
一番に診察してもらえたので、買い物しても10時過ぎにははてるまに到着。
いつもならゆっくり義父母と過ごすところですが、行方不明のぷるたが気になり、折り返し里へと向かいました。


年末から保健所と交番は休みだったので、ようやく警察本署に行って落とし物の届け出をし、生活環境局にも連絡しました。

そしたら、持ち込まれた形跡はないけど、「青い首輪の黒いわんこがいる」との通報があったとのことで、ひたすら祈りながら連絡を待ってたら、やはりぷるたに間違いないと。


さっそく引き取りに伺うと、そこは、仕事上でいつもお世話になっている老人福祉施設でした。
ヨカッタ。
ここは、以前から猫さんも飼っていて、動物には寛容な法人です。


ぷるたは、12月31日くらいからそのへんをウロウロしていたそうですが、縄張り意識が強い芝犬なので、多分手の届くところまでは他人を寄せ付けなかったはずです。
猫さんの餌を食べたりして飢えをしのいでいたそうですが、1月3日には餌につられて猫さんの小屋に誘導され、そこで保護されていました。


母とわたしが声をかけると、恐る恐る、すみっこの暗がりから出てきて、わたしの脇の下に顔を突っ込んできました。
入居者さんやスタッフも気に掛けてくださっていて、「良かったね、良かったね」とみんなから感涙の見送りを受けました。


ほんとに奇跡としか思えません。

あの豪雪の中、目も見えないのに、用水路の吹きだまりに落ちることも4車線の国道で退かれることもなく、痩せもせず、里から五キロ以上も離れた最適な保護者のもとで過ごしていたなんて…。


生きていると信じていなかった母と兄一家はびっくりしていました。

わたしは、とおるちゃんが、「ユタさんの言われるとおりにしなさい」とぷるたを使って信じさせようとしたのかなーなんて考えがふとよぎり、ユタの住む『風が生まれる島』が、急にくっきりと輪郭を持つようになったのです。

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[2014/01/11 14:29] | ・風の生まれる島初回訪問(古い順) | page top
風が生まれる島との出会い 壱。
とおるちゃんの『まぶいぐみ』もなんとか無事に終り、一周忌を控えた翌年9月のこと、端井の義妹から「今の中途半端な状態をリセットしようぜ」と提案を受けました。
中途半端は誰もが不幸になると。


はてるま母が初めの頃は半狂乱で、父との夫婦げんかも、端井一家との言い争いもかなりパワフルだったから、わたしは、半日お仕事に出て、とんで帰って話し相手を務めたり、なるべく一緒に過ごすようにしていました。
でも、時間が経つにつれて少しずつ波風が収まり始めていた時でした。


立ち止まらないと考えられないさとこは、18年間お世話になった職場をその年の年末に退職し、自分のするべきことを整理しようと決めました。


ご存知のとおり、わたしは、自分が明日も明後日も生きていないといけないという現実を受け入れることがいまだにできていない往生際の悪い人間です。

毎日夜がきて、また朝がくることを、いつまで続けないといけないのか。
夜明けまでは何年もかかるように思えるのに、反面、あの事故以来、時間はまったく経過してないようにも思えます。

60度の花酒や眠剤を飲んで立てなくなっても、気分が悪くなって激しく吐くだけで、翌日にはまたけろっと直ってしまう自分のガンジュウぶりに驚嘆します。


おっきくて汗かきで、体温が高かったとおるちゃん。
死んでからも、いつも、わたしが仕事から帰って寒くないように、巣を暖めてくれていました。

はてるまに一緒に帰っていたり、どっかにおでかけした日には、巣に戻っても冷え冷え状態なので、いつも気に掛けてくれているのがよくわかりました。


それでも辛くて辛くて、仏壇やお墓にしがみつくようにしか生きられないことが、はてるまや端井にとってはデメリットであることに、早くから気づいていました。

身内だと思って甘えているけど、いつまでもこのままでいられないことも。


12月。
義父が運転中に発作を起こし、車を壊して帰ってきました。
本人は覚えていないから、家族で必死で現場らしいとことろを探しましたが、目撃者も、事故に合った方もおられず安堵。

記憶がないことを悟られまいと、まとまりのない話をでっちあげる義父・義父が運転しないとたちまち困る義母・すぐにでも免許証を取り上げたい端井との言い争いは、ヒートアップ。

それからも、次々にいろんなことが起こり始め、変化を受け入れる時期が来たのかなと思いました。


そこで、とおるちゃんがわたしに何を望んでいるのか、ユタから聞いてもらうことにしました。


続く。


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[2014/01/11 08:09] | ・風の生まれる島初回訪問(古い順) | page top
ちょっと困ったこと。
先日、「『ハナミズキ』がすきだから」とリクエストされた。
きれいなフレーズだし、弾けんこともなさげだし、みんな知ってるから、確かに好きな人は多いけど…。


でも、2001年の9・11アメリカ同時多発テロ事件 のことは、まだ記憶に鮮明すぎて、鎮魂歌としてこころの安らぎに到達するのには、さとこにはまだまだ遠い話です

「 君と好きな人が100年続きますように 」は、きっと、無念の死を遂げた多くの方からの家族へのメッセージなのでしょう?
傍にいて守ってあげることは出来ないけど、自分が大切にしている人たちは、自分との別れを乗り越えてしっかり生きてほしい。
そして、テロの応酬という、果てしない波が止まりますように。


「どうぞゆきなさい お先にゆきなさい」
「待たなくてもいいよ 知らなくてもいいよ」
死んだ子供に向かって、「パパやママを待たずに、先に天国へ行きなさい。いつかきっとそこで再会できるんだから。」


ずっと、そんな意味の歌詞だと思っていたさとこ。
残念だけど、これはちょいと、厳しいっす。


あの事件のちょうどその時間、わたしはグループホームの夜勤の見回りをしていて、ご利用者がつけっぱなしのまま寝ちゃったテレビを消そうとしていて、立ちつくしたまま動けなくなりました。

その後も、降り注ぐガラスや人々の映像、特集番組の消防士さんたちのインタビュー。


消防士さんの映画『バックドラフト』も怖くて見れなくなりました。

ハナミズキ。
圧縮された苦しみがのし掛かって、息が詰まる曲。
耳にする度に逃げ出したくなる。


『夫婦船』も『つんだら節』も『軍人節』も、大好きなのに歌えないさとこ。
『童神』と『涙そーそー』は、毎日練習してやっと慣れたってくらいでしょうか。


心が軟弱すぎるさとこ。
まず自分に打ち勝つには…。 出家か?(笑)

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[2014/01/09 17:18] | ・今(なま)ぬあたす。 | page top
年頭にあたり
はてるま母が持たせてくれた、テイクアウトお節。
今年も御屠蘇が進む♪
ジューシーも焚いてうさぎたあと、美味しく、ありがたく頂戴いたしました。


先日の清水寺参拝でお数珠をいただいたので、身につけることにした。


数珠にはこころを安定させる力があるそうな。
辛いことや悲しいことで生じる心の揺れから解放されて、慈悲のあるやさしい言葉を発することができるらしい。
わたしも、も少しでも気持ちがコントロールできたら、気配りができる余裕や、その場で優しい言葉かけを思いついたりできるようになるのかな。


そして、やっぱし、新年の目標ってもんが必要だろうと思い、とりあえず、毎月一回は、なにかの形で教会の御用をさせていただこうと決めた。

母が不在でも、玄関やトイレや大広間やお庭はお掃除させていただくことができる。
道具さえ自分で揃えていけば、あちこち探し回るうちにパニックになることもないし。



もうひとつ。
三線を弾く時、左指に力が入らなくて、右手で鳴らす前に音が定まりにくい。弦を離しきれなくて、あたった指先で音を消してしまうので、指先も鍛えよう。

さすがに指たて伏せはいたしませんが(笑)、毎週しこたま届く生協のチラシを使って、紙バッグを作成中。
内職?

小銭を選り分けるとか、お線香みたいに繊細なものを持つとかの、微妙な力加減が難しいから、指先の震えが少しでも収まればと思いまして。
英字新聞とか、琉球新報とかで作るとカッコイイんだけど、残念ながら、「豚ロース バラ凍結 チャック付き 398円」とかの写真が、チョー庶民的(笑)


はてるま母の兄嫁さんは、右麻痺なのに、釘を打ちつけた板と左手で器用に編み物をされる。
毎年、干支のぬいぐるみを送ってくださるので、今年もぴよ子さんに渡して、デイケアに飾ってもらった。

わたしひとりが可愛がるより、できるだけ沢山の方に見てほしいからね。
干支ぬいぐるみ



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[2014/01/07 08:19] | ・さとこーさとこ´ | page top
いー そーぐゎち でーびる
5時。勤行の際、お節の代わりにお抹茶をお供えしました。
まずは一服所望いたす

里の元旦祭に向かいます。

道路は相変わらずスカスカだったし、朝ごはんももう終わっていたから、気楽。


ビンボー生活なので、今年のお年玉は、母には本をプレゼントいたしました。
『ニューヨークで見かけた、60歳から100歳までの生き生きしたご婦人方』の写真集。


母はよくみんなに「娘が着なくなったから、勿体なくて娘のお古を着ています」とか言ってるの。
赤いスーツとかは実際にそうなんだけど、露出の多いフリフリものや透け透けものや編みタイツは、「ゴメン、こりゃ、なんぼなんでも、よう着ません」と受け取らなかったものまで全部。

娘を言い訳に使わず、自分の主張として正々堂々と身につけて欲しいのよね。
それに、母は、「年寄りは他人に迷惑を掛けるし、汚い。自分は年をとりたくない」と、若さに執着してる。

ステキに年齢を重ねるお年寄りもたくさんいるし、それは尊敬に価することだって気づいてくれたかな~。


翌二日は、はてるま父母といじゃーくんと清水寺へ初詣。

端井のみんなは正月出勤があるから、今年は初めてのパスです。


車の中で義父用に軍歌を流していたら、「沖縄バンドで軍歌を演奏したら、みんな涙を流して喜ぶのに」と、父興奮(笑)

確かに軍歌はみんなが知っている。
でも、涙の理由はそれぞれ。
壊滅的ダメージを受けた沖縄の焦土と、それを見越していた日本とのそれぞれの立場を想像すると、レパートリーに加えるのは、さとこにはちょっと無理だなあ。

義父や、施設のご利用者様が唄いたいとのことなら、喜んでバック演奏の練習はいたしますが。
でも、やっぱし、軍歌は吹奏楽と男性合唱だよね~。


はてるまに帰ると、わたしの部屋には義父のカセットテープが持ち込んであった。
ヤッター!

どうやら活用してくれているみたいだぞ。

義父が遠慮なく出入りできるよう、わたしの私物は早急にとおるちゃんの部屋に移したい。
そしたら、今度は、壁一面を父の撮した写真のギャラリーにできるといいなー。


お寺へのお礼参りの時に、義母が「盆までにさとこに戒名をつけてやってください。そしたら、もちっと元気になるんじゃないかと思うんです」と切り出してくれた。

方丈さんは、「こりゃ悩んで痩せるなあ」と頭を掻きながら、『皓』か『皎』か『朋』の字をいれたらどうかなと提案してくださった。
皎や皓は、わたしにはあまりにも凛と清らかで眩し過ぎて、かけ離れて畏れ多い気がする。
朋なら、共に喜びや悲しみを分かち合い、みんなに支えてもらって生き長らえている自分にも合うかもしれないね。

戒名が決まれば、一生をはてるまに捧げる覚悟も生まれるかもしれない。

新しい年は、こうして始まりました。
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[2014/01/03 15:11] | ・今(なま)ぬあたす。 | page top
年末年始の取り越し苦労
30日は、はてるまの買い出し日でした。
かわりに、大晦日には帰らんでええぞと言ってもらえたので、わたしが最も不得手とするところの、センス重視のお節盛り付けには関わらずに済み、でーじラッキーやっさ~。

時間にゆとりができたので、こそこそと義父のリラックスルーム作りに専念。
昭和の風情重視
わたしの荷物の移動は間に合わなかったけど、とりあえずはこたつを組み立て、おニューのCDラジカセもセッティングオッケー。

掃き出し窓のベランダからは、周囲の山々も、川沿いにカーブを描いて走る国道や、救急車の出動も見放題ですぞ。
義父、使ってくれるといーなー。

コーフンしてバタバタし過ぎたのか、巣に戻ると、嘔吐。
翌朝方にも再嘔吐。
困ったな、としばらく休むと収まりました。
片付けと、ぱにーニィん家の掃除を済ませると、里への出発は午後に。


ただでさえ車が多い上、信号で並んで止まっている車の隙間を縫って当然のように車道を横断する人達にすっかりビビったさとこ、半泣き状態で細い道を選りながら恐る恐る里へ向かったら、一時間もかかっちまったとですよ。

「おそくなってすんませーん」と覗くと、御神前のお掃除は、兄夫婦がすでに始めてくれていた。
母は年賀状書きのラストスパート中で、お掃除には遅れての参加。

それでも、信者さんが山から切って来てくださった立派な榊やお花やで飾りつけ、ご神前はお正月にふさわしい美しさに。

さとこは、兄達の配慮で、夕食も深夜0時のご祈念も参加しなくても良くなったから、全員でお墓参りを済ませたあとはフリーとなりました。

わーい。こんなん、はじめてー。

大晦日とあって、どこのお店も早じまい。
あちこちの駐車場では休み放題だし、とっぷりと暮れた夜道は、意外に車が少なく、さとこ号を洗車する余裕までできました。

巣に帰還すると、菩薩さま&とおるちゃんにノンカップお椀の年越し蕎麦小をうさぎ、のーんびり。
ニシンはみ出し蕎麦




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[2014/01/03 12:04] | ・今(なま)ぬあたす。 | page top
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