秋、晴れた日は特に、夕刻がせまるにつれ、さとこ不安感MAXです。
息を吐くってどうするんだっけ。 目を閉じても開いても落ち着かなくて 居ても立っても居られない。 空気が澄んだ、幻想的な夕焼けの中。 事故発生推定時刻、17時18分。 職場のブラインドから差し込む夕日を覚えてます。 秋の日が暮れるのはあっという間で 病院に向かう道は渋滞で 車のテールランプの赤が並んでいました。 駆けつけて間もなく、18時33分に死亡宣告。 この町のアパート、今の『とおるちゃんとさとこの巣』に引っ越したのは 2008年の10月だったから 事故までの一年間だけを、生身のとおるちゃんと一緒に過ごしたことになるんだねえ。 夏ごろ、 「お連れ様はどちらですか?」という新聞記事をみつけました。 ↓ 半世紀以上も連れ添った妻に先立たれた、横浜市の知人男性からこんな話を聞いた。男性は葬儀を終えた後、故郷である佐賀県唐津市の寺に納骨するため、羽田空港から空路、九州へと向かった。 遺骨を機内に持ち込めることは知っていた。でも入れたバッグがかなり大きく、念のため搭乗手続きの際に中身を伝えた。機内に乗り込み、上の棚にバッグを入れて席に着くと、客室乗務員がやって来てこう言った。「隣の席を空けております。お連れ様はどちらですか?」 搭乗手続きで言ったことが機内に伝わっていたのだ。男性が「ああ、上の棚です」と説明すると、乗務員はバッグごと下ろしてシートベルトを締めてくれた。飛行中には「お連れ様の分です」と飲み物も出してくれたという。 「最後に2人でいい“旅行”ができた」と男性。その表情を見ていたら、こちらも温かい気持ちになった。 . 何回も読み直して いっぱい泣いたけど とっても幸せな気持ちになった。 さとこは とおるちゃんを納骨する前に、遺骨をぽっちり分けてもらって 半分を細かい砂状にして沖縄の海へ流し こっそり残した分をちっちゃなポーチにしまって、 職場とお風呂以外は 常に連れ歩いていた。 BEGINのコンサートでみんなが立って踊っていたら スタッフの方にカメラと間違えられて危うく没収されそうになったこともあり、 そんときは友人たちが守ってくれたけど、 迷惑をかけてはまずいので、それ以来、コンサートには行くのはやめた。 社内旅行が海外に決まり、断れなくて参加に○をしたものの、 とおるちゃんのポーチが麻薬だと思われて空港でとりあげられるんじゃないかとか ひったくりにあったらもう二度と巡り合えないんじゃないかとか そんな不安で気が気ではなく (義母は「位牌を連れていけ!」と言ったけど、いやいやそれは・笑) 結局、旅行日までに退職したので その心配は解消された。 お出かけから帰ると「カルシウムとおるちゃんのモビルスーツ」と呼んでいたポーチから 猫のシュガーポットに移し、 寝るときにはとおるちゃんの寝巻に包んで抱きしめて眠るという溺愛ぶり。 すべてがカルシウムとおるちゃん中心の生活だったのですが 3年目の命日の前日に さとこ、一歩前進したのですよ。 風が生まれる島のムヌチ(交信できる能力を持つ人)に相談したら ↓ 「分骨は、最初はそれほど問題はないが、年数と共に痛みがでて苦しみに変わります。 毎日お水とお神酒をあげても、 あなたが連れて歩く間は、のどが渇き、力も弱る。 今までは楽しかったかもしれないが、 そろそろ落ち着きたいと本人が願っている。 分骨したままでも良いから、とおるさんも水子も一定の場所に安置し、動かしてはいけない。」 といわれましたの。 「死んだ人と生きている人は入り交じれない。 入り交じろうとすれば、生きている人は撹乱され、死んだ人にも悪影響が及ぶ。 グソー(来世)で落ち着いてもらう為に、現世の人には、冥福を祈り続ける使命が課せられている。 合掌は、左手に自分を守る神様・右手に先祖やとおるさん。 胸前で合掌するのは自分自身と三位一体になって幸せを祈るということです。 この世の人間が幸せなら、グソーの方も幸せ。」 そうかあ。 そういえば、とおるちゃんのこと、いつもなでなでしているけれど、 合掌なんてあんまりきっちりしていなかったなあ。 命日ごとにおさらいして 気持ちを新たにしなくてはね。 ほかにもいっぱい教えていただけたので もし関心おありの方は 過去記事コチラです (→ムヌチねーねーのお話) さとこ、 骨に対しての若干過剰な執着が もしかしてお仕事に生かせるといいなと思っている 若いころは 遺骨収集事業に参加したかったり、 病院の洗体のアルバイトをするつもりが ちょっと遺体に対しての尊厳を欠いた内容を耳にしたので さとこには無理と思ったり 退職したあとは湯かんサービスに再就職を狙っていたら、 そこの会社、もう無くなっちゃって 最近では遺品整理業員の募集を検索してみたり。 生きていた証としての肉体に、 できる限りの敬意をはらえるお仕事をしたいけど 今のハウスクリーニング&おねぎの出荷との兼任は 心情的にも無理なので 沖縄で暮らせるようになったら そんなお仕事探したいななんて まあ、家族も自分も高齢になりつつある今、 なんにも具体化してなどいないのですが こんな感じで 今年もようやく とおるちゃんの命日を乗り切りました。 さとこは相変わらず根暗でひ弱な精神で 前向きに活発に生きている家族の足を引っ張っていることが心苦しく 居る以上は関わらないといけないから なんとかフェードアウトして存在を消せないかと悩むけど ぱにーニイが もう関わってしまっているものはリセットなんかできないよって こうやって 一年をただ乗り切っているだけの毎日でも いつかとおるちゃん迎えに来てくれるかなあ スポンサーサイト
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夕焼けがとてもきれいだった秋の日の夕暮に
とおるちゃんが姿を消して、 七年が過ぎました。 さとこ、未亡人歴7年。 ベテラン度に比例して、 ポンコツ度も相変わらず、日々加速中。 こんなワタシですが、 よろしくお願いいたします。 カーステで、とおるちゃんの歌声を大音響でかけながら、ベーベー泣く。 ふと、「声、若いなあ」と思う。 さとこが年をとったのですね。 とおるちゃんの『月命日』は、 毎月決まった日に、一緒においしいものを食べよう!っていう特別感をもつ、 言うなれば 日常の一部ですが、 『祥月命日』が近づくにつれ、 心にさざ波が立ち始めます。 とおるちゃんが、さとこを残して 自分だけ次のステップに進んでしまった日であり、 さとこの未来や目標が 消え去った瞬間ですから。 『さとこ第一次変革期。』 又の名を 『アドヒアランス(病気を理解して、治療を継続しようとする意志)ゼロ期』 とも。 死ぬ気満々で、 抗うつ薬を処方されても 飲む気なんか、更々無く、 お仕事辞めて、 残りの人生は、一分一秒でもとおるちゃんから目を離すまいと決めて、 同時に、身の回りの整理に懸命だったのに。 『さとこ第二次変革期。』 完全に燃え尽きていた時期。 オリオン座流星群が降り注ぐ日に 迎えに来てくれるよう、 毎日、とおるちゃんへのメールもお祈りも欠かさずに… 志、半ばにして その三か年計画を断念し、 生き続ける意味を失って、 身が引きちぎれるような一秒一秒を乗り切るだけの毎日を、 たくさんのひとに迷惑をかけながら、 これからも繰り返すしかないのだと 諦めた時期。 カッティングしてみて ぽたぽたと血が滴るのを見て、 良かった、時間は進んでいるんだと 実感を得ることで 僅かに安心する日々でした。 『さとこ第三次変革期』 この先、果てのない毎日、 自分のことは自分でしなくてはと、 真面目に服薬して 干からびた青菜状態で過ごす、 機動力ゼロの 抜け殻さとこ。 『さとこ-さとこ’(さとこハイフンさとこダッシュ)期』 として、 身体も心も 存在感無くフワフワと 気づくと知らないうちにどんどん時間が流れていて、 ウラシマタロウ状態。 新しいことはなにも始められない ただ、時間の積み重ねでしたが。 7回目のとおるちゃんの命日をやり過ごした、 さとこのなま(今)は。 いろんな出会いや新しい出来事に対して、 対応力というか 抵抗力というか 踏ん張って受け止める強さが できてきたんじゃないのかな。 頑張っていれば、 きっと命日に迎えに来てくれる。 今年こそ。 今年こそ。 1年に1回だけのそんな唯一の望みも、 身体とともに老化してきました。 「楽しい」と感じている自分に気づいても、罪悪感を持たなくなってきた。 ガラス瓶のするどい欠片でできたような 山ほどの後悔も、 風や雨に晒されて、 少しずつ角が丸くなった。 憂鬱の波が突然襲って来るけど それは一時的なことで 滑らかな絹のように穏やかの状態のときだって この先あるだろうって 見通しを想像できる。 呼吸が 自然体でできる。 疲労感が自分でわかる。 お腹が空いて 食べて美味しいと思う。 涙が出るほどに。 明日の朝が来なければいいと あんなに毎日思っていたのに、 何時間も眠れていた自分に気づく。 こわいこと、 苦手なもの、 沢山増えた。 ある意味 とおるちゃんを見つめるだけで 外界の時間の流れと隔絶した世界に住んでいて 全くなにも感じなかったさとこの生活が、 自分主体になってきた、 そんなところなのでは。 小さい時から 苦手なものはいっぱいあったけど、 とおるちゃんに見損なわれたくなくて なんでも積極的に関わろうとしていた。 カラ元気を止めて、 元の身長のさとこに 戻っただけのこと。 翌週や、来月の予定を入れる事にも、 気持ちが慣れてきました。 毎日がイッパイイッパイで、 とおるちゃんのことを最優先に考えられない日が増えていても 「今日は勘弁ね」って 軽く謝れる。 昨年、7回忌を終えてから、 何となく はてるまの長男の嫁としてがんばらなくてはという気張りも 燃え尽きた。 今年の命日。 はてるま父母とお墓参りをし、 さとこが突発的になんかやらかさないように、見張りにやってきてくれたぱにーニィと 2台で連なって巣に戻り 夜、 オリオン座流星群が見られない代わりに ぱにーニィと 半蔵さんと半蔵さんのカノジョちゃんと プラネタリウムに行きました。 いちばん悲しい日のいちばんやりきれない時間を 7年前のあの病院の 隣の公園にあるプラネタリウムで いちばん哀しい曲を聴いて過ごしました。 ━ 星めぐりの歌 ━ 宮澤賢治全集 第六巻 あかいめだまの さそり ひろげた鷲の つばさ あをいめだまの 小いぬ、 ひかりのへびの とぐろ。 オリオンは高く うたひ つゆとしもとを おとす、 アンドロメダの くもは さかなのくちの かたち。 大ぐまのあしを きたに 五つのばした ところ。 小熊のひたいの うへは そらのめぐりの めあて。 『別れの悲しみは、必ずときが癒してくれます。 時は死んでいった愛する人の魂であるのかもしれません。』 この言葉を、 静かに 静かに 受け止められるようになってきました。 |