祝、さとこのパニック スパイラルにご来場二桁!
パニックワールドの主要構成員である、わたしの里の母が『眼科入院・即日手術』という非常事態発生に翻弄されている間に、いつの間にかこのblogにお越し下さった方が二桁になってました!

ぱに-ニィとわたしを除いて、blog界潜入をご報告申し上げたのは8人しかいないはず…。

せっかくのご縁なので、是非またお越しくださいね~。


とりあえず、急場しのぎに、わたしのパニックぶりが母譲りであることを裏付けるエピソードをご披露し、おいおいに日々の出来事をご報告申しあげることにいたします。


  ↓

一昨年5月の日記より。

心療内科に通院し始めて約3ヶ月。

4月から抗うつ剤の量は安定したものの眠剤が合わず、午前中は動けない日が続いていたので、早朝から農作業を開始するペースの嫁ぎ先には、なかなか帰れずにおりました。


この日の朝、わたしは頑張って7時半に起き、燃えるゴミを出しに行きました。

戻ると、ラスカル(洗濯機)を回してお風呂に入りました。

お風呂から上がって「おっ、今日こそ、はてるまのお家に帰れそうだ」と、義母に電話しようとしたら、ケータイに留守録が…。

義母からで、孫娘のてぃーだちゃん出勤時に乗せてもらって市街地近くの整形外科で膝の水を抜いてもらい、帰りは、甥ののりやんに来てもらって、わたしたちフーフの巣に顔を見に来るからという内容でした。

のりやん号が到着。

暫くお互いの病状に同感し合い(のりやんさんも鬱で三年プータロー)、そのあとはハローワークに行くことにしました。

義母が「太陽にあたらんといけんしこだで」と心配してくれたので、友人のぱにーニィさんが二日に一度は昼ごはんを食べに連れて出てくれてますからダイジョブと話しました。


そのぱにーニィに11時半に迎えにきてもらい、玄関の中と外とで電話したあと、ケータイを置き忘れたまま出発しました。

暫く二人でハローワークでパソコンを眺め、自動車屋の半蔵さんを昼食に誘いに行くと、半蔵さんはすでにお好み焼きを作って釣り仲間と食べるところでした。

だもんで、
またぱにーニィと二人で、家電屋さん→うどんやさん→中古屋さん→ぱにーニィの保険会社ちょっと寄り→半蔵さんとこに帰って来ました。

間に家電屋さんと中古屋さんが入ったのは、先月、風が生まれる島に引っ越した友人弥生ちゃんへの餞別にCDMDデッキを探すためです。

最近、MDは下火らしく、電気屋ではなかなか見つかりませんが、中古屋さんにはあって、目星をつけました。

半蔵さんとこで保険の手続きに付き合ってから送ってもらう途中、半蔵さんからぱにーニィに
「うちのばばから電話があってな。さとやんが行方不明で大騒ぎになっちょーしこだ」


…??


何かよくわからんけど、ぱにーニィのケータイ借りて母に電話したら、半狂乱の母の声が…・

「あらっ!あんた!まあー。ちょっと!良かったー今どこ?」

電話の向こうは何だかやけに騒々しい。

とにかく帰ってみると、巣には泪まみれの母と義母とのりやんさんが。


ことの次第はこうでした。

11時半、母はふいに思い立って巣に来てみた。
(ちょうどわたしがぱにーニィ号で出発した直後。)

さとこ号がある。まだ寝てるのかな?
ピンポーン。
出ない。
電話してみる。
プルルル。
出ないぞ。
ピンポーン、ピンポンピンポン、プルルルップルルルッ。
だんだん焦ってきて、はてるまの家に電話。
「こんにちは。さとこ、そちらに帰ってます?」

義母「あら。今朝会って、今日はハローワークに行くって」

母はハローワークに行ってみましたが、娘の姿はない。

職員に聞いてみましたが、「個人情報ですし、受付を通してないかもしれませんし、お答え出来かねますが」


相変わらず電話は通じない。

母のパニックが義母にも引火し、義母は甥にSOSを発信。「のりやん、さとが大変らしい。連れて行ってごせ!」

同時に、母に合鍵を使うよう指示。

母が自宅に合鍵を取りに帰り、再び巣に入るとテーブルの上にケータイが。

食器乾燥機には、夕べ自分が届けた鰻丼の茶碗が洗って伏せてある。

ああ、さとこ、お母さんの鰻丼食べてくれたのね。


テレビの前にひっそりととおるちゃんのギターが飾ってある。(ぱにーにィが調整してくれたから暫くとおるちゃんが遊べるように立て掛けてありました)
はてるまギター


隣の部屋は沖縄旅行の準備でトランク、服、カバン等が散らかり放題。

そのなかに白い箱がひとつ。メモが貼り付けてある。中には白地の紅型の着物。
「わたしが死んだらこれを掛けて下さい」


さとこーッ!さとこはとおるさんのギターを眺めて泣きながら鰻丼を食べ、そして今、自殺するんだわ!


その頃、のりやんさんと、慌てた義母が到着。
義母は「今朝部屋に上がったときはとても元気でしたし、とおるの携帯電話も充電中になってるし、もしもの時はこのカバンに通帳や保険などの大事な物は入れていると聞いてますよ。お母さん、心配しなくても…」

母「いえいえ。お義母さん、さとこははてるまの家ではいい顔してますが、昨日も早くから寝て、元気のない声でしたからっ」

義母もなんだか不安になり、相乗効果でさらにヒートUP⇑。


交友関係がわからないわっ!
ケータイはあるけど、仲良しのぴよ子さんの本名がわからないから連絡がとれない!
半蔵さんは?
実家なら分かるぞ。もしもし、うちのさとこの行方をご存知ないですか?半蔵母さんが出られたが、当然知らないから「息子に聞いてみます」
端井(とおるちゃんの義妹家)に電話だ!
京都の兄に電話だ!
ケーサツに捜索願いを!!

さとこおおおおーっ!

ってなわけで、帰ってきた私をみて二人の母はへにょへにょに。

のりやんさんは車の中でゲーム中。わたしを見てにんまりVサイン。


ぱにーニィも上がって自己紹介と状況説明をしてくれ、自分の連絡先まで母達に教えてくれ、お茶をすすって漸く一息。


今まで一週間くらい連絡しないこともザラだったのに、小学生じゃあるまいし、二時間連絡がとれないくらいで、なしてこんなことになるのでしょうか?


闘病開始から初めて、『朝から行動出来た記念日』になるはずの日が、エネルギーを必要以上に浪費した1日となりました。

チャンチャン♪


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[2013/04/02 01:22] | ・パニック事件簿(古い順) | page top
祝!ご来訪者50人越え記念回。
うりひゃぁ! でーじなとぅん!
ぱにーニィ切傷事件でわたしが右往左往している間に、いつの間にやらご来訪者様数がぱにーニィの齢51を越えておられました。ありがとうございます。ありがとうございます。
てな訳で、ぱにーニィと関わりが深いパニック事件についてご報告させていただきます。
って、ぱにーニィが関係してない事件はないんだけど(笑)。


一昨年5月の『切れん切れん事件』について。(よい子達、そして悪い子も、絶対にまねしないでね、絶対にだよ。)
  

4月30日ははてるま母(旧姓水田)の実母の50年法要でバタバタしていて、大切な友人ぴよ子さんのお誕生日が4月29日であることをすっかり忘れておりました。

風が生まれる島の友人から法事中に着信あり。
夜、巣に戻りようやく折り返しお返事したら、「昨日、ぴよちゃんのお誕生日メール送ったら喜んでた」と言われて思い出し、ハッ、シマッター!って感じでした。

だもんで、5月4日に急遽、巣にて、参加人数分の種類を注文するという暴挙に及ぶ『ピザ&ブルーシールアイス(地元での取り扱いはピザポケのみ)胸焼け会』を企て、実行犯メンバーを募りました。

しかしながら、その日の朝、元職場の先輩の千里さんからお母様が亡くなられたと連絡が入り、夜にご焼香に伺うことになったから、胸焼け会はまたまた急遽中止。

千里さんからは、6日の告別式の受け付けを二名で頼みたいとの依頼もありました。

千里さんと関わりがある人で当日休みのひとが思い当たらず、あまり付き合いはなかったけど、元々、6日に会う約束をしていたぴよ子さんにパートナーを依頼。


わたしは、季節毎の生体リズム変調に、あまりにも予定が立て込んで行事続きだったこともあり、先月30日の水田の法要が終わるまでがうつ症状のピークで、少しずつ波のうねりの間隔が開いてきたところ。


法要前日の28日は、完全にココロが砕けていて、突発的に自殺を図り、いつも通り、未遂に終わりました。


その日も、不眠のまま巣で朝を迎え、9時にスーパーが開くのを待って、小麦粉もんを愛して止まない端井の義妹に焼きたてパンを購入、マッハ(の心意気)で帰りました。


10時にはてるまに到着すると、既にはてるま母と近所のおばあさんが買い物に行く気満々で待機。

パンに引き寄せられ、義妹が足取り軽やかにやってきて、暫く活発にティータイムを過ごしたため、11時半を回ってからの出発となりました。

銀行・昼食・店四軒を回って帰宅すると、もう15時を回っていました。


そのあとは甥のいじゃー君の部屋を整理するために、荷物の運び出し。

実は、いじゃー君は、4月に家出をして、はてるまの二階に引越してきています。

義妹の夫さんは、わたしと同じくウツなので、かなり感情が荒くなっていて息子のいじゃー君と度々衝突。


昔、はてるまは岐阜に住んでいて、とおるちゃんが運転していた頃は、お互いの行き来が盛んでした。
三年近く、来てもらう一方だったから、義母はしょっちゅうお兄さんのお墓参りに行きたがっていました。

わたしは自信がなくてなかなか「連れて行く」と言わないので、いじゃー君がじいばあを乗せていくと度々言ってましたが、まだ若いし、じいちゃんの病気も理解できてないから、両親は当然猛反対。


はてるまばあちゃんからは「おかぁはうるさいが、お前にはできる!いじゃー、自信を持て」
と激励され、とうとう義妹夫さんがいじゃー君に「言うこと聞けんやつは荷物まとめて出ていけー」と言い、お隣のはてるまにお引っ越しとなったわけです。


二階の3部屋共をわたしが占領しているのが気になってたから、本来他人であるわたしとしては、これはこれで、ひと安心です。

とおるちゃんの荷物が減る度にだんだん居場所がなくなっていくのはしぜんの流れ。


じいちゃんばあちゃんが幸せならベストです。

いじゃー君は、普段は他県に単身赴任だけど、月二回はもどって一緒にごはんを食べるし、ちょっとしたお出かけも頼みやすくなり、夫婦喧嘩が絶えなかったはてるま父母も、よく笑うようになりました。


いっぺんには無理だけど、毎回の帰宅時に1コーナーずつとおるちゃんの物を撤去し、いじゃー君にスペースを譲るよう努力しているところです。

そのあと、役場が閉まる17時前には出発し、自立支援の手続きや国民年金の問い合わせを役場と福祉事務所で済ませて、巣に向かいました。


夜は、沖縄バンドの太鼓担当さんとぱにーニィとライブに行く予定にしていました。

ライブ会場の喫茶店は、日頃沖縄バンドがお世話になっていて、顔つなぎが重要なんです。


巣に戻って、いじゃー君の部屋から運び出したとおるちゃんの品々を整理し、直ぐに出発する段取りで、ジタバタ。


その時、京都の兄から着信アリ。
「今、母のところなんや。今朝帰ってきてな、今夜発つんやけど、もしお前の都合つけば会われへんかなと思ってな」

兄がせっかくはるばる帰って来ているので、沖縄バンドの顔つなぎは太鼓担当さんに一任し、里に猛ダッシュ。

久しぶりに兄と対面しました。

母も、急なことに驚きながらも、兄とわたしにちらし寿司を準備。

フキと筍と厚焼き玉子を混ぜ込み、酢でシメた魚と山椒の葉をふんだんにのせた里の母のちらし寿司が、わたしはいちばん好きですね~。

席に落ち着くや否や、早速母の弁論が始まりました。


とおるさんの三年法要が終わったのに、いつまで図々しくはてるまに居座る気なのか。


無職で、アパートで自由気ままに好き勝手な一人暮らしをしているお前が、とおるさんと同じお墓に入るなど許されるわけがない。

はやくまともになりなさい。

世間の笑い者だ。

おかあさんが死んだら、あんたは壁を失って散々な思いをするよ。

兄が、「お前を心配してのことなんやけど、こんな言い方ではお前も納得できひんわなあ。まあまあ、母も今日のところはそのへんで…」と口添えをしたので、母の怒りの矛先は今度は兄を直撃。

家業とおかあさんをさっさと捨てたあんたに何がわかる?
あんたの子供等は感謝の気持ちを持たずに育ってしまった。
おかあさんの愛情や苦労を、あんたたちは何とも感じていない。
云々…


聞いているだけで風穴だらけな私です。


兄を見送り、巣に戻って、手当たり次第に眠剤カクテルを服用。

とおるちゃんの写真を持って、浴室で新品のペティナイフを開封してを切りました。

…あれっ?

予想では、一瞬の焼けるような痛みのあとには赤く染まるお湯、途切れていく記憶と闇をイメージしていました。

おニューのナイフなのに、全く切れません。
薬でフワフワして力が入らないのかと、何度も試しましたが、微かに切傷が出来る程度。
100均、だめじゃーん。

あとで聞いた話を繋ぎ合わせると、その後の出来事はこんな感じ?
  ↓
ぱにーニィに「切れんー切れんー」とわんわん泣きわめきながら電話をしたそうで、ぱにーニィは、何か知らんが切ってあげるから待ってなさい、と慌てて訪問したら、そんなことだったので、大仰天だったそうです。
『それは、代りに切ってあげれんがな』ぱにーニィ言。

わたしがお風呂でギコギコ四苦八苦している頃、ぱにーニィは、大阪王将でラーメンを食べていて、ケータイがチカチカ光ったので、誰かからの電話かと思い、外に出たそうです。

そしたら、着信歴も未読メールもなく、はて、と首を傾げているところに、わたしからのパニクり電話があり、とりあえず向かってみたそうでした。


そして、わたしを落ち着かせながら、とおるちゃんの写真に「俺に電話をかけさせるとは、お前、なかなかいい仕事したがな」と誉めながら、ふっと、コンパクトサイズになったとおるちゃんの一部がモビルスーツ(クッキーモンスター)にまだ入っているのではないかという気がしたそうです。


今まで、外出から戻って、わたしが初めにやることが、コンパクトとおるちゃんを定位置の猫のシュガーポットに移すことで、一度も忘れたことはありませんでした。

それなのに、今回はモビルスーツで自由(?)がきく状態にいたこと、そしてとおるちゃんがその状態でいるのではないかということを、ぱにーニィが思いつくなんて、なんだか不思議な感じです。

とおるちゃんが「自分の役目は済んだから、戻してくれや」って言ってるみたい(笑)。

そして、わたしは首筋に大げさにアロエ軟膏をねっとり塗られ、さらに厳しい管理下に置かれる羽目になってしまいました。

あー。バカバカ
詰めの甘いわたしです。

続く。

[2013/04/16 01:01] | ・パニック事件簿(古い順) | page top
引き続き、一昨年5月の日記より『おさわがせ国立病院搬送事件の過程と詳細』
月曜日、久々に沖縄バンドの練習に行きました。
風が生まれる島から友人がやってくるので、せっかくだからみんなの演奏を聴いてもらいたくてその相談を兼ね…。

メンバーみんなは歓迎会をしようと言ってくれ、日にちを決めて集まってくださることに決まったところでした。


そして、わたしはまた大失敗をやらかしました。

練習に行ったその日も、朝からバタバタ。

はてるま買い出しや片付けや病院や練習が重なり、母とはてるまの話の内容も濃かったので、完全に打ちのめされていた上に、先日の告別式の時に粗相をしたのか、千里さんから不機嫌な電話があり、会話中怒らせてしまったようです。

「さとこさんはお暇なことでよろしいですね」と切られました。

訳もわからずボーゼン。
練習に戻ったものの、あれこれ考え、上の空のわたし。

その最中に、追い打ちで沖縄バンドのライヴが6月8日に決まってしまいました。

わたしは、実はバンドを辞めるつもりで、切り出すタイミングを狙っていましたが、風が生まれる島の友人の集まりを頼んだあとだったから、ライヴ不参加とか辞めると言い出せず、さらに落ち込み…


帰るなり、恒例の眠剤バイキング。 (くれぐれも、真似はしないでね、ホントにホントに絶対だよ)

今度は剃刀を使おうとお風呂に入ったとこまでで気を失ってしまいました。


気がついたら翌日の昼間でした。
ぱにーニィが横にいて「目が覚めて良かった」と泣きそうになってました。

以後は聞いた話。
 ↓

練習後、連絡が取れないわたしを心配して、またぱにーニィがとんできました(薬がソッコーで効いたらしい)。


声をかけても返事がなく、シャワーしながらバスタブにうつぶせになっていて、ゆするとぐらんぐらんして全く意識がないのでとりあえず体を拭いて部屋に運んだそうです。

作務衣を着せて寝かせたら激しいいびきをかき、脳梗塞かもと心配になったらしい。

瞳孔を見ようとライトで照らしてみたものの、自分も目が悪いから分からない(笑)


二時間経過しても呼名反応なく、「国立病院だ。」と半蔵さんにSOS発信。
軽トラ&戸板・毛布つきでダッシュでやってきてくれた半蔵さんと合流。

ぱにーニィは、もう会えなくなるといけないからと、とおるちゃんをモビルスーツに移し、水子ちゃんのかわりとして可愛がっているぬいぐるみといっしょに連れて来てくれました。


半蔵さんととおるちゃんは、元々バイクもクルマも走り屋仲間。
冬山の雪道をドリフトしたり、サーキットを借りて壮行会を企画したり、オフロードで腕を競いあったり、若い頃はむちゃくちゃやったもんです。

とおるちゃんは、久々の半蔵さんの走行に狂喜し、フロントガラスにかじりつきで、ボブスレーみたいに激しく揺れていたそうです。


あっという間に国立病院に到着。

が、しかし、救急受付が替わっていたそうで、二人で交代でだっこしながら、「救急はどこだー」と走り回ったそうです。

で、受付をしているときに初めてわたしが身動きしたそうで、「あ、気がついたから帰りますわ」と受診せず戻り、半蔵さんは「一気に喉がカラカラだわ」と帰って、ぱにーニィは泊まって様子を見ていたそうでした。

…全然覚えてない

半蔵さんにもこの貧乳は見えてしまったかも。

あー。


そして、わたしは生理中だったので、ぱにーニィは、脱衣かごに残っていたナプキンを発見。

「あ、座布団を敷くのだな」と思い、開封してみたら、なかなか複雑な構造で、テープは肌に直に貼るのか?この羽根はどうだ?とだいぶ悩み、パンツに装着することを思い当たって感動したよ。と言ってました。

完全介護です。


翌日は、運転できないので、ぱにーニィに14時に当時バイトしていたポスティングの事務所に連れて行ってもらい、半蔵さんのとこに「ごめんなさいでした」を言いに行きました。

二人先客があったから、「貧乳見た?」とは聞かず、顔だけみせてすぐに帰りました。

[2013/04/16 01:52] | ・パニック事件簿(古い順) | page top
母とその仲間達と行く石垣島1日目:前編(6-1)
昨年3月の出来事です。

出発前夜は、電気カーペットの上でごろごろ向きを変えながら時間が過ぎるのを待ち、3時からゴソゴソ活動を開始しました。

5時、巣の玄関前で待機し、母と合流。

JRの駅に向かう途中、母「お母さん、忙しくておカネおろす暇がなかったわ。あんた、貸してくれる?」

今回は、付き添いだから旅費は母が持つと言っていましたが、わたしは自分の分は払うつもりで、準備してきていました。

いいよ、と言いつつ、内心「多めに下ろしておいて良かった~」と思いました。


駅駐車場に母号を置き、始発の特急に乗車。

母の荷物がやけに重いので、なんでやと聞くと「あんたが、石垣島の水は飲めんって言ったから、お母さん持ってきたわね。」


はて?そんなこと、言うどころか、思ったこともないけど…。

言った言わんで揉めるのも面倒くさいので、「重いのに、ミネラルウォーター買えばいいんだよ」とだけ言っておきました。


発車後すぐに、胃が撹拌されるような激しい揺れが始まりました。

いったん席に座ったものの、すぐに立ち、乗務室前の扉に張り付いて、停車の度に車掌さんと扉の奪い合いをすることとなりました。

合間にはトイレにて嘔吐。

出がけに、スタミナ補給としてバランスアップを二袋も食べたのが原因かと思われます。
JRとわたしとの相性は最悪だと思いましたよ。

寺尾聡様の名曲 HABANA EXPRESS も、こんなに振り子のように揺れて、窓も上げられずだったとしたら、あのセクシーな歌詞は生まれなかっただはずね。


いつもは前日にさとこ号で出掛け、空港隣の温泉施設に宿泊してますが、今回は、のっけからの難所。

旅はまだ始まったばかり。

7時40分、新幹線との接続がある駅に到着し、同じ特急の別車両に乗っていたツアーメイトと初顔合わせをしました。


メンバーは、放送大学センター長の中島先生、歴史博物館館長の靖舞教育長ご夫妻、もと国立病院看護師さんのかしこさん、母、とわたし達フーフの計6名と1骨です。


靖舞先生の奥様とかしこさんと母は、放送大学の花の女学生です。


中島先生は、動植物を採取する網・ヤッケ・長靴などの入った巨大なナップザックを肌身離さず、持て余し気味にじゃれ合っておられるようで笑えました。

今回、ヒメアマガエルの生態を研究するのに、オタマジャクシを採取する許可を得て、田んぼに入り浸られる予定ですが、急遽、市議さんやら石垣島の研究センターの教授陣やらとの交流会も入ったとのことで、あちこち連絡をとったり空港でお土産を追加購入されたりと、忙しそうでした。

現地でも、レンタカーで単独行動と聞いていました。


採集網の柄を杖にされていて、初対面のわたしは、てっきり「足が悪いか、軽い片麻痺」と思い込んでいました。

母から、センター長以外はみんな沖縄は初めてと聞いていたので、
「飛行機搭乗自体が初体験の母が先生に心配をかけては大変。
研究に専念していただけるよう、下っパのわたしが手回ししなくちゃ
と、わたしは決意を新たにしたのでございます。


で、飛行機に乗るための心得を母に説明しつつ、センター長に代わって、全員の座席指定をし、手荷物を預けるなどの手配を行いました。

搭乗案内まで1時間近くありましたが、みんな喫茶にも売店にも入らず、ロビーで談話。

テーマは
『センター長がどんなに良い方か、各学生のエピソードと、それにまつわる思い』
『放送大学のこれからの課題と展望』
『先日、NHKの特集番組に出演した靖舞館長の収録体験談』
などです。

一人が話し始めると、残り三名が熱意あるうなずきや小さな感嘆符で共感し、それがじゅんぐりに行われました。

搭乗案内アナウンスが再再流れる中、四人の弁論は白熱する一方。

おそるおそる、身体チェックコーナーへの移動を提案。

ようやくみんな立ち上がりました。

母は、センター長ともみ合って、手土産の紙袋を奪うように預かり、わたしと二人で持ちました。

センター長のリュックも持ち込みです。

以前、預けて行方不明となり、よその国で発見されて奇跡的に戻ってきて以来、ぜったい身から離さないのだそうで。


母は、腕時計や小銭などの金属を体から外すのを「持ってるって言えばいいじゃないの。イチイチ外すなんて面倒くさい」
ペットボトル中身検査を「そんなことまで!?」
と文句を言いましたが、センター長からも促されると、初めて聞いたように大人しく言いなりになってました。


母は、初めて飛行機に乗るところと、席に座ったところの証拠写真を撮ると、一安心したようです。


離陸の圧迫感と高所恐怖症も何とかクリア。
でも、着陸間近になって「機内ラジオのイヤホンのせいで耳が痛くて頭が割れるようだ」と言い、気圧の変化に耳抜きで対応するのを知らなかったことが判明。

ごっくんやあくびを何度も促しましたが、よほど長い間我慢していたらしく、当分痛みが収まらず、聞こえも悪いようでした。


那覇から石垣便への乗り継ぎ場所への移動はスムーズでした。

けっこう待ち時間があり、センター長から、スタンドで昼食に沖縄すばでも食べようと提案がありましたが、女学生達が連れだって代わる代わるトイレに行って帰って来なかったり、靖舞館長は立ち食いに抵抗あったりで、結局お弁当を買ってきて、搭乗口ロビーで食べました。


わたしとかしこさんは大東寿司を買いました。
母はじゅーしーおにぎりセットを買い、わたしとかしこさんのお弁当の上におかずを次々のっけていきました。

母、自分の食べる分だけ買おうねー。

代りにわたしは母に大東寿司を勧めました。

大東寿司は、新鮮なサワラを漬けにしてあり、辛子又は山葵が薬味。
サワラをいかに薄く切れるかと、食べるまでのタレの漬け込み時間がポイントで、家庭でも作れる気軽さが人気らしいよと説明しました。

母は耳に入ってか入らずか、靖舞さんやかしこさんに
「んまあー。ここまで薄く切れないわ。
でも、こんなのだったら、わたしにも作れるわ。塩漬けして醤油に漬けてあるみたいだから、やってみよう」と何回も言ってました。

気に入ったのなら、まあ、いいのかな。

to be conてにゅぅ
[2013/05/01 23:07] | ・パニック事件簿(古い順) | page top
母とその仲間達と行く石垣島1日目:後編(6-2)
石垣便に乗ってから、センター長さんから「皆さんはこのあとどうされるんですか」と聞かれ、初めて、同行者誰もの予定が全く決まっていないことを知りました。


靖舞夫妻が、「みなさんにご一緒させて下さい」と言われ、さらに困ったことに。

靖舞夫妻は、翌日は別行動で本島に行くので、今日行きたいと言われるところは、全て私たちの明日の観光バスツアーに入っていたのです。

相談するにも、席が離れているし、隣の母は、向こう隣のかしこさんと話に夢中。

事前にガイドブックを渡してましたが、「お母さん、見る暇なんかなかったから、あんたに任せる」とのこと。

皆さんどんなところに興味があるの、と地図を開いても「眼鏡がなくて見えません」

靖舞さんやセンター長が話しかけても、耳が痛くて聞こえません。

靖舞夫妻は学識高い方々なので、行く場所は夫妻のご希望に合わせて、重複したらそれはそれで、ということになりました。


石垣島に到着し、運転手さんを合わせて計六人がのれる中型タクシーを探しましたが、持ってるタクシー会社は三社しかなく、どこも出払っている。

母は「車を遊ばせておくことはあり得ない。中型を扱う免許を持った運転手がいないことを隠しているのよ」とどんどん妄想を膨らませています。


結局、小型を二台借りて、先導車の靖舞夫妻に着いていくこととなりました。


石垣初の観光地は川平湾。
かびらおさかな触る―
運転手さんが「乗らなかったら必ず後悔するから、チケット買いなさい」とグラスボートを勧めますが、母は「商売だからグルになって儲けようとしてるのよ」と頑なに拒否。

かしこさんが熱心に誘いますが、「靖舞ちゃんたちも乗らないんだって」と応じません。

浜に下りてエメラルドグリーンの海をみていたかしこさんが堪らず「わたし、乗る!アヤコ(母)さんも乗ろう!」と強く主張。

ごねてロスした時間も合わせ、乗らない意思を貫いた靖舞夫妻とはその時点でお別れコースとなりました。

さて、乗ったら、けっこう楽しいかもと気付いた母は、やおら積極的になり、夢中で写メを取り始めました。

船を下りたあともコーフン醒めやらず、真っ白な砂を持って帰ると言い張り、「あんた、袋持ってない?」と小学生のよう。


その後、私たちの運転手さんは、みんさー織り工芸館・母希望の石垣島鍾乳洞に案内してくれ、6時前にスーパーホテルアビアンパナへ。
漂流教室風


靖舞夫妻は一足先にチェックインを済ませておられました。

夫妻は、川平湾の後は、唐人墓・御神(うがん)崎・桃林寺を回り、靖舞館長の知識欲を満足させてくれる、とても良い運転手さんだったそう。

センター長も到着されました。

夕食は全員で。

母から、初日は石垣島の学生さんと交流会かもしんないから、あんたは自由にしていいよと聞いてましたが、結局、交流会はなかったようです。



センター長が、まぐろ専門店『ひろし本店』石垣牛『まる』郷土料理『あだん亭』がお勧めらしいと聞いてきてくださいました。


初日だから郷土料理の『あだん亭』へ。

高級なとこなら靴下が要りますねなんて話してたら、着いたら、私にはありがたい庶民の居酒屋でした。

みんな食べたいものの希望がなく、お勧めの説明を受けて、乾杯の石垣地ビール・うむずなー(いいだこ)チャンプルー・あだんの芽のチャンプルー・田芋コロッケ・フルーツパパイヤのサラダ・八重山そばのちゃんぽん・麩ーチャンプルーを頼みました。

教授陣は『市民教育の行くさき』について熱く語られました。

みんな、乾杯のあとは水しか頼まずに二時間ねばり、私は居心地が悪くて鬱症状が出始め、指先と足の震えがとまりませんでした。

後ろに団体客が並んでいるし、「何か頼まないと」母に耳打ちしても「割りカンだから、あんたが一人頼むのは良くない」とのこと。

料理は、チャンプルーばかり注文したので、一人ずつに小鉢が並ばなかったのがみんな驚きだったようですね。

沖縄料理はたいしたことないというのが総評でした。

センター長は「皆さんを場違いなところに案内してしまったかなー」としきりに気を遣われます。

ほんとに良い方です。


二時間の弁論のあと、ようやくホテル各自部屋へ解散。

センター長は、「こんなホテルで良かったですか?」と、相変わらずの優しい気配り。

かしこさんとわたしは大満足で「素敵ですわ~」とニコニコ答えます。

母も同意しつつ、後で声を潜めて「ここは普通のビジネスホテルじゃないのよ。だって、ダブルベッドで枕が二つあるし、机のスタンドが薄暗いでしょ」と大発見をしたような口振り。

かしこさんも、目を丸くして口を開け、手で押さえています。

母の中では、ホテルはビジネス型と連れ込み型の二種類のみの分類分けらしい(笑)。


明日は3チームに別れます。

学長さんは研究。
靖舞歴史館館長ご夫妻は本島で沖縄の歴史を散策。
母とそのご学友のかしこさん・わたしたちフーフ1人と1骨は西表島・由布島・竹富島の三島巡りです。

とぅ び こんてにゅ
[2013/05/02 02:29] | ・パニック事件簿(古い順) | page top
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