風が生まれる島との出会い 壱。
とおるちゃんの『まぶいぐみ』もなんとか無事に終り、一周忌を控えた翌年9月のこと、端井の義妹から「今の中途半端な状態をリセットしようぜ」と提案を受けました。
中途半端は誰もが不幸になると。


はてるま母が初めの頃は半狂乱で、父との夫婦げんかも、端井一家との言い争いもかなりパワフルだったから、わたしは、半日お仕事に出て、とんで帰って話し相手を務めたり、なるべく一緒に過ごすようにしていました。
でも、時間が経つにつれて少しずつ波風が収まり始めていた時でした。


立ち止まらないと考えられないさとこは、18年間お世話になった職場をその年の年末に退職し、自分のするべきことを整理しようと決めました。


ご存知のとおり、わたしは、自分が明日も明後日も生きていないといけないという現実を受け入れることがいまだにできていない往生際の悪い人間です。

毎日夜がきて、また朝がくることを、いつまで続けないといけないのか。
夜明けまでは何年もかかるように思えるのに、反面、あの事故以来、時間はまったく経過してないようにも思えます。

60度の花酒や眠剤を飲んで立てなくなっても、気分が悪くなって激しく吐くだけで、翌日にはまたけろっと直ってしまう自分のガンジュウぶりに驚嘆します。


おっきくて汗かきで、体温が高かったとおるちゃん。
死んでからも、いつも、わたしが仕事から帰って寒くないように、巣を暖めてくれていました。

はてるまに一緒に帰っていたり、どっかにおでかけした日には、巣に戻っても冷え冷え状態なので、いつも気に掛けてくれているのがよくわかりました。


それでも辛くて辛くて、仏壇やお墓にしがみつくようにしか生きられないことが、はてるまや端井にとってはデメリットであることに、早くから気づいていました。

身内だと思って甘えているけど、いつまでもこのままでいられないことも。


12月。
義父が運転中に発作を起こし、車を壊して帰ってきました。
本人は覚えていないから、家族で必死で現場らしいとことろを探しましたが、目撃者も、事故に合った方もおられず安堵。

記憶がないことを悟られまいと、まとまりのない話をでっちあげる義父・義父が運転しないとたちまち困る義母・すぐにでも免許証を取り上げたい端井との言い争いは、ヒートアップ。

それからも、次々にいろんなことが起こり始め、変化を受け入れる時期が来たのかなと思いました。


そこで、とおるちゃんがわたしに何を望んでいるのか、ユタから聞いてもらうことにしました。


続く。


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[2014/01/11 08:09] | ・風の生まれる島初回訪問(古い順) | page top
風が生まれる島との出会い 弐。
さて、ユタからのお返事はこうでした。


「あなたが思うようにしたらいい
今まで通りでいい
旦那さんは二人で沖縄中を回りたかった。だから、かわりにあなたが回ればいい

本島だけが沖縄じゃない。

旦那さんは音楽をやりたいし、奥さんにも続けさせたい。
音楽で出会いを広げなさい。
上手か下手かなんて、関係ないこと。

たとえば、命日に沖縄に来て、野外でみんなに聴いてもらうとかでもいい。


奥さんが死ぬことを旦那さんは望んでいない
死んだら旦那さんは怒るよ

いろんなことをがんばりなさい

とにかく、まずは僕の島にいらっしゃい。」


まったく想定外の答えでした。


ただ、ユタがとおるちゃんの思いを代理でわたしに伝えてくださるとき、どうしてもユタご本人の主観が入ってしまうだろうから、言われた事まるまる全部がとおるちゃんの気持ちかどうかは分かりません。
だって、あまりもかけ離れた文化や習慣で生きてきた人物の言いたい事を100パーセント感じ取るなんて、普通、できっこないでしょ?


何にしても、直接会ってお礼を言いたいし、直に聞きたいこともあるし、でも、先の予定を入れて、そこまで生き続けるのはツラい…、と考えていたまさにその時、里の母の愛犬である黒柴のぷるたが失踪したです。
ぷるた


ぷるたは12月29日、小屋と壁の隙間を無理矢理広げて出ていったようです。
初めてのことでした。

この年末年始は記録的な豪雪で、すべての交通機能はストップ。
わたしも義父から「この正月は帰ってくるな。事故と渋滞で身動きがとれんぞ」と言われ、まさにその通りでした。
電線は切れて、一帯は停電。
港の船も圧雪で沈没という有様。


ぷるたはかなりの老犬で、白内障で、お座りもできないほど関節がこわばっており、母もわたしも、死に際を見られたくなくて去っていったのかと思いました。
遺体が雪の下では冷たくて可哀想だから、せめて手がかりをと、ユタに写メを送ってお願いしました。

そしたら、「大丈夫。心配しなくても帰ってくるよ。雪の下にはいない。きっと保護されてるよ」とすぐに返事がきました。
まるで夢の様です。


そして、少し交通網が回復しかけた1月4日は義父の通院日で、悪天候のため病院は貸し切り状態。
一番に診察してもらえたので、買い物しても10時過ぎにははてるまに到着。
いつもならゆっくり義父母と過ごすところですが、行方不明のぷるたが気になり、折り返し里へと向かいました。


年末から保健所と交番は休みだったので、ようやく警察本署に行って落とし物の届け出をし、生活環境局にも連絡しました。

そしたら、持ち込まれた形跡はないけど、「青い首輪の黒いわんこがいる」との通報があったとのことで、ひたすら祈りながら連絡を待ってたら、やはりぷるたに間違いないと。


さっそく引き取りに伺うと、そこは、仕事上でいつもお世話になっている老人福祉施設でした。
ヨカッタ。
ここは、以前から猫さんも飼っていて、動物には寛容な法人です。


ぷるたは、12月31日くらいからそのへんをウロウロしていたそうですが、縄張り意識が強い芝犬なので、多分手の届くところまでは他人を寄せ付けなかったはずです。
猫さんの餌を食べたりして飢えをしのいでいたそうですが、1月3日には餌につられて猫さんの小屋に誘導され、そこで保護されていました。


母とわたしが声をかけると、恐る恐る、すみっこの暗がりから出てきて、わたしの脇の下に顔を突っ込んできました。
入居者さんやスタッフも気に掛けてくださっていて、「良かったね、良かったね」とみんなから感涙の見送りを受けました。


ほんとに奇跡としか思えません。

あの豪雪の中、目も見えないのに、用水路の吹きだまりに落ちることも4車線の国道で退かれることもなく、痩せもせず、里から五キロ以上も離れた最適な保護者のもとで過ごしていたなんて…。


生きていると信じていなかった母と兄一家はびっくりしていました。

わたしは、とおるちゃんが、「ユタさんの言われるとおりにしなさい」とぷるたを使って信じさせようとしたのかなーなんて考えがふとよぎり、ユタの住む『風が生まれる島』が、急にくっきりと輪郭を持つようになったのです。

[2014/01/11 14:29] | ・風の生まれる島初回訪問(古い順) | page top
さてと…。どうやっていくのかな?

じつは、今回の退職を、家族にはまだ告げていませんでした。

心配した家族や親戚のさまざまなアドバイスを受けたり、それぞれから将来のことをあてにされて要求攻めにあったり、端井の義妹から早速自分の施設への就職を紹介されたり、そんな関わりから全く離れて、ゆっくり考える時間が欲しかったのです。


モノレールや定期バスであちこち歩くつもりで那覇五泊の予約をとっていましたが、餞別で頂戴したJTB旅行券が早速役に立ち、すぐさま、島までの往復切符を買いました。

対応してくれたJTBトラベルのおっちゃん、琉球エアコミューターなるものの存在を知らず、「おかしいなあ。そんな便はないですよ」。
んなわけないので、わたしが勝手に時刻表やパソコンを覗き見して「ほら!ここ。ここにありますがん」と一緒に探したり、片道27400円の往復割引で手配をされそうになって「マッタ!ここに24100円の特割の空席あるでしょうが!これを使います」と指示したり…。


このおっちゃん、旅行会社なのに、離島のアクセスは知らないのか?
挙句、「あちらに住んでおられるんですねー」とのんびり言われ、「…初めて行くんすけど」と答えたら「やー、日本っていろんな島があんですね~。」


おっちゃん知らなすぎ。
お宅の窓口のお嬢さん方はみんな知ってんだよ。
たっぴらかすよとは言わずに帰りましたけどね(笑)


さて、いよいよ出発です。

以前、当日朝の特急列車が土砂降りで2時間遅れ、飛行機を待たせちゃった苦い経験があるので、空港に近い温泉施設に前泊しました。


なんと、この保養施設、1階がお風呂で、ロビーのお土産物コーナー隣がデイサービスになっていて、びっくり。
二階は、昭和風の屋台食堂とかアカスリとかタイ風マッサージの設備もございます。

お泊まりは和室泊にしました。
畳が古くて、ズボンの脛に刺さりますので、ストッキング着用の方や、黒い服の方は注意が必要です。

豆腐屋さんの直営店があり、お豆腐以外にも豆腐ケーキや豆腐パフェ・豆腐チップスなど、何やら心躍る商品が陳列されておりました。


せっかくだから、豆腐と醤油を買い、持参した明太子と佃煮とご飯で夕食をすませました。
手作り豆腐にくぎづけ

でも、二階で単品からもいろいろ頼めそうだったから、機会あれば味してみましょうねー。


朝は四階展望レストランでバイキングです。品数多く、しかも手がかかってるし、でーじジョートー。
オクラに海苔が巻いてあったり、さつま揚げは、つなぎ少なく、ふんだんに白身の魚肉がでんぶみたいに繊維が分かる状態で揚げてありました。
テイクオフを見ながら優雅に朝食


空港滑走路を見ながら食べられるので、離陸した航空機が真上を飛んでいき圧巻です。
[2014/01/12 05:50] | ・風の生まれる島初回訪問(古い順) | page top
本島 初日。
飛行機の中で配られる『たびんちゅクーポン』はなかなかのすぐれもの。
わたしは、機内紙『コーラルウェイ』と『たびんちゅクーポン』で、なんとなく訪沖中の目標を決めるのであります。


雨の那覇に到着しました。


まずは、空港観光案内で北部と中南部のバスマップをゲット。
とおるちゃんと一緒の時はレンタカーだったけど、観光地を自分で運転するなんて度胸はございません。

定期観光バスの時間をチェックしたら、『南部戦跡巡り』に食指がうごめきましたが、残念ながら、集合場所に向かう時間がギリギリなので断念。


吹き降りだった雨は、ゆいレールに乗ってる間に止んじゃって、強風ですっかり道路は乾いている。

じつは、とおるちゃんが死んでから、さとこはおでかけのとき、傘を持っていく事は一度もありません。
今回も、全行程悪天候だったのに、移動時だけは、必ず止んでおりました。
すごいぞ、とおるちゃん。


とりあえずホテルについてみたら、まだ13時。
荷物だけ預かってもらうつもりでしたが、15時にチェックイン開始なのに、そのまま入らせていただけました。
わーい。

そして、お部屋は、12階最上階の一号室、角部屋でした。
わーいわーい。


ホテルについて、さとこが初めにすることは、まずラスカリング(お洗濯)。
これを終えないと、落ち着いた心地がいたしませんの。

ラスカリング後は、弥生さんお勧めの、赤嶺のマンガ倉庫へ向かいます。
内地では入手不可能な、沖縄県産色濃厚な中古CDや書籍を物色するのが目的でした。


牧志駅でモノレールを待つ間に、「そうだ、まずはとおるちゃんに訪沖一食目を与えなくては」と気づき、ローソンでポーク玉子おにぎりを購入。
「温めますか?」と言われたので、「ハイ」と答え、いったんホテルに戻ってお食事タイム。

さて、ポーク玉子おにぎり、開封したとたんにみごとなまでの完全崩壊。
スプーンですくって食べました。


今回の第一回目の教訓は
『ポーク玉子おにぎりは、温めてもらわないのが望ましい。』です。
みなさんも、御注意くださいね。


この日、那覇は11℃、南城というところは8℃だったらしい。
1月11日は旧暦12月8日。
まさにムーチービーサーを体感いたしました。


ムーチーについても学習いたしました。
内地のお餅は米を蒸してから成型するのに、沖縄のお餅(ムーチー)が成型してからクバの葉や月桃の葉に包んで蒸すのは、腐りにくいようにとの南国の知恵らしいです。
実際、わたしはホテルでムーチーを一週間近く常温で放置しておりましたが、腐ったり黴が生えたりすることは全くありませんでした。


さて、改めてマンガ倉庫へ向かいます。
この、やけに腰の低い店員さんが「ささ、こちらへ」と迎えてくれましたが、まだ働いておられるのかしら…。
まんが倉庫でまだ勤務してるのかな
「たびんちゅクーポン」のおかげで、1100円引きで8枚のCDをゲット。
とくに、八重山の方言のラジオ体操第一・第二、カラオケつき『新川スマムニ体操』は、心にも身体も力がみなぎる逸品でございます。


マンガ倉庫を出てからは、第二の目的であるウチカビ(あの世のお金。仏亊の際にはお墓や玄関前、仏壇前などで燃やして送ります)を買いに琉球ジャスコへ。

どこを切ってもシーサーのかまぼことか、とおるちゃん大喜びのにゃっとうとか、ワクワクな食材を発見。
太陽とシーサーのなるとかまぼこ 初めての出会い

さすが、沖縄。
缶詰のかまぼことか、1~2ダース単位で箱買いするからトゥーナー(シーチキン)の箱が山積みになっていたりとか、見慣れない光景に心が浮き立ちます。

そして惣菜コーナーでは、握り鮨は8巻で298円ですよ。
どーなってんの?


ホテルにもどったら21時でした。

21時って、まだ宵の口だへん?
国際通りに山ほどあるお店の中で、マーミナーチャンプル(もやしのチャンプルー)380円からと看板が出ている『きらら』というお店に入ってみました。
若い二人組がちょうどライブ中で、とおるちゃんと早速演奏とお話を楽しみはじめたところ、国際通りには珍しく22時半で閉店し、びっくり。


そのあと、フラフラと久茂地までさ迷いながら、0時頃、民謡酒場『島思い』にたどり着きました。
『島思い』は有名な大城美佐子さんのお店です。

店内を覗くと大城さんの姿が…
店員さんに確認したところ、演奏は2時まで、閉店は3時と聞き、それなら安心。


着いたときには前ステージ中で最後のカチャーシーが始まっており、他のお客様たちはワンステージが終わったので、ほぼ私と入れ替えに帰り、お客はとおるちゃんとわたしの一骨と生身一人だけに。
『島思い』のその日のブログにのっていた写真がこれです。
また行きたや島思い

前回は、とおるちゃん・沖縄バンドリーダー・踊り子1号&2号と来ました。
とおるちゃんとわたしのみずこちゃんが流れて二週間後だったなあ。


残念ながら、その時は大城さんはおられなかったので、今回はリクエストにも応えていただき、とおるちゃんもわたしも大満足。
しかもとおるちゃんたら、いっちょまえにミニミニの一品ずつを出してもらい、お陰でわたしは更に暴食を重ね…(笑)。

でも、楽しかったです。
大城先生はしょっちゅうステージに立たれるわけではありません。普段は男性の知念先先生が演奏されるらしいんですが、「だんなさんに聴かせてあげようね~」と、白雲節、那覇港何とか、石くびり、と次々唄って下さり、そして、夫婦船まで…。

「みーとぶに(夫婦船)」は、まさに曲名通り、人生の荒波を、夫が帆柱、妻が船の心となって、極楽の港まで共々に、という内容です。

むかしからいっとう好きな曲だけに、さとこは鼻水まみれ。
お店の美らかーぎさんたちまでが、アイメイクが人間離れした危険な状態に…。

他にお客さん来られなくて、ホント、よかったす。

[2014/01/12 08:01] | ・風の生まれる島初回訪問(古い順) | page top
とおるちゃん、元気でやってるかい?
ホテルに戻ると三時半でした。
八時まで浴槽に沈んで過ごします。

通りのお店が開き始めるのを待ち、みなさんからいただいた餞別のお返しを買って、早速発送。
親切にも、昨日買ったウチカビとCDも一緒に梱包してくれました。


さて、安心したところで、午後からは宮古島へ飛びます。

実は、沖縄の海が大好きなとおるちゃんがいつでも泳げるように、そして、わたしが一人でも気楽にお参りしやすい場所として、昨年、宮古島の与那覇前浜に、とおるちゃんのカルシウムをほんのちょんぼし散骨したのです。

つまり、今日は、とおるちゃんのお墓参りってわけですね。


その日の那覇は、風もなくやや汗ばむ陽気でしたが、宮古島空港に着いたら肌寒く、がらーんとしてました。
みやこまもる君勤務中 りりしい♪

写真は宮古島を守ってる「みやこまもる君」です。勤務中にも関わらず、ちょっと遊んでもらいました。


与那覇前浜までは、東急リゾートホテルの無料シャトルバスがでているから、宿泊客ふーじーで乗り込みます。
わたし以外に男性のお客様が一人だけ。

この人、背中から凄いオーラを放っているヒトだったけど、もしかして、田中星児かウメヅカズオかな?(笑)


東急リゾートホテルに到着すると、駅伝が間近なのか、にぎやかに横断幕が張ってありました。


まずはホテルのコンビニで、ワンカップ泡盛とタンカンジュース、ポーク玉子おにぎりをゲット。
空港の売店でもマンゴープリンとかぼちゃのサーターアンダギーを買っていたから、かなりゴージャスですよ!
ピクニック気分

幸い、浜には人影はなく、お酒を流してとおるちゃんを拝んで、いっしょにウサンデー(お下がりをいただくこと)しながら暫くとぅるばって(のんびーりする)みました。
おや、ヒコーキが

黒雲が立ち込めてましたけど、やっぱり雨は一筋も降りませんでした。


そして、空港行きシャトルバスホテルの時間までは売店を物色。

ホテルの敷地のそこらじゅうがお花で飾りつけてあるから、記念にパチリ。
通りすがりに記念撮影


当時、宮古島空港には、もずくを練り込んだバンズに、中身はマグロカツという、『んきゃどらバーガー』ってのがあって、これは大ヒット。かなりハマリました。
んきゃどらバーガー最高っス




[2014/01/13 22:35] | ・風の生まれる島初回訪問(古い順) | page top
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